機関銃(マシンガン)は、小銃用の弾薬を使用し、引き金を引いている間、連続して弾丸を発射し続ける全自動連射(フルオートマチック)銃をいう。通常、三脚や二脚、車両や航空機などに装着し、安定させて使用・射撃する。機関銃とよばれるのは、小銃弾薬を使用する口径12ミリ程度のものまでで、それより大きな口径の弾薬を使用するものを機関砲とよぶ。全自動連射銃のなかで、小銃の形をしているものは、自動小銃(オートマチック・ライフル)とよび区別する。現代の軍用小銃のアサルトライフル(突撃銃)は、全自動発射できるが、自動小銃に区分されて機関銃とはよばない。また、拳銃(けんじゅう)弾薬を使用して全自動連射のできる銃は、サブマシンガン(機関短銃/マシンピストル)とよび、マシンガンと区別される。
機関銃は、連発銃を開発するなかで発明された。初期の機関銃は、多数の銃身を並べて弾薬を装填(そうてん)射撃する形式をとるものが多かった。さまざまな形式が試されたが、初期の機関銃とよばれるものは、ハンドルを回したり、レバーを動かして弾薬の供給を行って連発する外力利用式機関銃だった。外力利用式機関銃の代表的なものに、機関部のハンドルを回転させて同心円に並べた銃身を回転させて連射するガットリングガン(ガットリング砲)、ガットリングガンとよく似た構造をもつホッチキス機関銃、2本の銃身を備えたガードナー機関銃、1本の銃身のアガー機関銃、水平に3~5本の銃身を並べたノーデンフェルト機関銃などがある。ガットリングガンは、アメリカのリチャード・J・ガットリング(1818―1903)が1861年に発明し、アメリカのコルト社によって製造された。現在も、航空機武装機関砲用や、対空機関砲として、ガットリングガンとよく似た構造の機関砲や機関銃が、高い連射の速度を得られるように電動モーター動力式に改良されて使用され続けている。ガットリングガンを除けば、外力利用機関銃は、続いて発明・開発された機械的に作動するより効率的な機関銃が出現すると、ほとんどが姿を消していった。
機関銃の開発は、19世紀末ごろに薬莢(やっきょう)が発明されて一般化されると、自動装填式小銃や、自動装填式拳銃などの開発と並び、銃器発明者が競って研究する分野となった。初期の近代機関銃の開発で、とくに重要な働きを示したのは、アメリカ生まれでイギリスで活動していたハイラム・S・マキシム、パリで活動していた元アメリカ造兵廠(ぞうへいしょう)技術者ベンジャミン・A・ホッチキス、そして、アメリカ人ジョン・M・ブローニングの3名だった。彼ら以外にも、多くの技術者が各国で機関銃の開発を進めていたが、オーストリアのアンドレアス・シュワルツローゼやデンマークのW・O・マドセンなどのわずかな例外を除くと、営業的にもほとんど成功しなかった。
マキシムの発明した機関銃は、発射する際に銃身に加わる反動を利用し、機関部内のシャクトリムシ型の遊底(ゆうてい)を前後動させ、発射済みの薬莢を排除し、続いてベルトで連結された弾薬を抜き取って銃身に送り、射撃を連続させる構造をもつ。
ホッチキスの発明した機関銃は、発射する際のガスの一部を、銃身の途中から取り出してシリンダーに導き、このガスの圧力でピストンを動かし、機関部内の遊底を前後動させて、発射済みの薬莢を排除、続いて金属製のプレート上の弾薬を抜き取って銃身に送り込み、射撃を継続させる構造をもつ。
ブローニングの機関銃も、発射する際の反動を利用する。わずかに後退する銃身で遊底を起動、前後動させて発射済みの薬莢を排除し、ベルトに連結された弾薬を銃身に送り込んで連射する構造をもつ。
マキシムやブローニングが開発した構造のものを反動利用式機関銃とよび、ホッチキスの開発した構造のものをガス圧利用式機関銃とよぶ。現代の機関銃も、反動利用式か、ガス圧利用式の、二つの構造のどちらかで設計されている。
第一次世界大戦が始まるまでに開発された機関銃は、長時間の射撃の放熱のため大きな冷却フィンや、水を入れる円筒型ケースを銃身の周囲に備えて重いため、三脚の上に装備させて防衛用に使用するのが普通だった。第一次世界大戦では兵士とともに射撃しながら前進できる軽量な機関銃が求められて製造された。これら機関銃は、従来の放熱効果のための銃身周囲の大型のフィンや水冷装置が省かれた。軽量化された機関銃は、軽量の二脚と取り扱いの楽な箱形弾倉を装備させた。従来の機関銃に対し、軽量の攻撃用機関銃は、軽機関銃(ライトマシンガン)と名づけられた。同時に、従来の三脚を装備した重い防衛用の機関銃は重機関銃とよばれるようになった。しかし、国によっては歩兵小銃弾薬より大口径の弾薬を使用するものを重機関銃とよぶ軍隊もある。
ドイツは、第二次世界大戦になると、同じ機関銃の本体を利用し、防衛用と攻撃用に兼用できるMG34機関銃やMG42機関銃を製造し、戦線に投入した。組み合わせて多目的に使用できる機関銃は、システム機関銃と名づけられ、その後の機関銃の設計に大きな影響を与えた。MG42機関銃は生産技術的にも鋼板をプレス加工して多くの部品を製造し生産性が高められており、この点もその後の機関銃設計に大きな影響を与えた。
初め歩兵用や艦載用として開発された機関銃だったが、その後自動車、戦車、航空機などが兵器として使用されるようになると、それらに搭載する改良型の機関銃が製作されるようになった。自動車、装甲車などに装備される機関銃を、車載機関銃という。航空機搭載用には、翼の中に固定してリモートコントロールで射撃する翼内固定航空機関銃と、操縦席や機体に装備して自由に向きを変えて射撃できる旋回航空機関銃がある。
第二次世界大戦後、歩兵部隊の個人武装として、機関銃と同じ全自動連射のできる突撃銃が一般化した。このため、歩兵の最小単位である分隊にも、味方分隊を支援する軽量な機関銃が必要になった。この目的で開発された突撃銃の弾薬を使用する新型の軽量機関銃が、分隊支援火器、または分隊支援機関銃とよばれる。分隊支援機関銃は、第一次世界大戦中の軽機関銃と発想的に同じだが、兵士の負担を軽減させるため重量がはるかに軽く、一般兵士の持つ突撃銃の弾倉も使用できるよう工夫されている。
[床井雅美]
日本における機関銃は、江戸時代末期に少量の手動式ガットリングガンがアメリカから輸入されたことに始まる。日露戦争には、フランスからホッチキス機関銃が輸入されて使用された。のちにホッチキス機関銃は日本でコピーされて国産化され、1905年(明治38)に口径6.5ミリの三八式機関銃として制式機関銃になった。1914年(大正3)、ホッチキス機関銃を見本として日本が独自に改良開発した三年式機関銃が制式となる。三年式機関銃はさらに発展改良され、1932年(昭和7=皇紀2592)に九二式機関銃になった。1941年(昭和16=皇紀2601)には、九二式機関銃の生産性を向上し軽量化された改良型機関銃が、一式機関銃として制定された。しかし、アメリカと開戦したため、既成の兵器の量産が優先され一式機関銃の量産は見送られた。
軽機関銃としては、1922年(大正11)に制定された口径6.5ミリの十一年式軽機関銃がある。1936年(昭和11=皇紀2596)には、操作性のよい九六式軽機関銃が制定され、さらに1939年(昭和14=皇紀2599)には、九六式軽機関銃を原型に、口径を7.7ミリに大きくした九九式軽機関銃が制定され供給された。
戦車や装甲車などに装備する専用機関銃としては、十一年式軽機関銃を原型に改良した九一式車載機関銃(1931年=皇紀2591制定)や、チェコのZB軽機関銃を原型とする九七式車載機関銃(1937年=皇紀2597制定)が製造供給された。
第二次世界大戦後、自衛隊が創設されると、初めアメリカ軍の装備に準じたブローニング機関銃などで武装した。その後国産兵器生産の気運が高まり、日本特殊鋼が中心になって国産機関銃が設計され、国産機関銃は1962年(昭和37)に62式機関銃として自衛隊の制式となった。現在、自衛隊はこの62式機関銃と、分隊支援機関銃としてベルギーFN社原案のFNミニミ機関銃が、ライセンス生産され供給されている。
[床井雅美]