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真徳秀 しんとくしゅうZhen De-xiu; Chên Tê-hsiu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

真徳秀
しんとくしゅう
Zhen De-xiu; Chên Tê-hsiu

[生]淳煕5(1178)
[没]端平2(1235)
中国,南宋の政治家,儒者。浦城 (福建省浦城県) の人。字は景元,のち改めて景希。慶元5 (1199) 年の進士。嘉定1 (1208) 年太学博士となり,秘書郎,著作佐郎を経て起居舎人,同 15年宝謨閣待制,湖南安撫使をもって治潭州などを歴任。理宗が即位すると中書舎人に召され,礼部侍郎直学士院に抜擢,端平2 (35) 年には参知政事,資政殿学士となる。性理の学の復興に努め,時務に適切な奏疏は数十万言に上り,『大学衍義』『西山先生真文忠公文集』など多くの著作がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

しんとくしゅう【真徳秀 Zhēn Dé xiù】

1178‐1235
中国,南宋時代の学者,政治家。西山先生と称せられる。朱熹(しゆき)の門人詹体仁(せんたいじん)の弟子。韓侂冑(かんたくちゆう)による弾圧により衰退していた〈正学(朱子学)〉を復興するのに功績があり,魏了翁とともに当時の士人の尊敬を集めた。晩年には宰相にのぼる。しかし,その学問思想は魏了翁に比して独創性がなく,政治家としての出処進退にはけじめがなかったという評価もある。その主著《大学衍義(えんぎ)》は,朱熹の〈全体大用〉の思想(根本を確立しそれを対社会的に実践すること)を継承発展させたものである。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

真徳秀
しんとくしゅう
(1178―1235)

中国、南宋(なんそう)の学者。浦城(ほじょう)(福建省浦城県)の人。字(あざな)は景元、のち景希と改め、西山先生と称される。諡(おくりな)は文忠。1199年(慶元5)進士に及第。理宗(在位1224~1264)のとき、知泉州、知福州を経て、翰林(かんりん)学士から参知政事へと累進する。韓(かんたくちゅう)によって朱子(朱熹(しゅき))の学問が偽学であるとして弾圧されるが、その再興に力を注ぎ、周敦頤(しゅうとんい)、胡安国(こあんこく)、朱子、張(ちょうしょく)の学問による勉学を奨励した。天下には理のない気、気のない理は存在しないとする理気二元論は、朱子の伝統をもっともよく継承したものである。1234年(端平1)、のちの帝王の必読の書として尊崇された『大学衍義(だいがくえんぎ)』43巻を上進した。著書に『西山先生文集』55巻、『西山読書記』61巻などがある。[菰口 治]

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