改訂新版 世界大百科事典 「真徳秀」の意味・わかりやすい解説
真徳秀 (しんとくしゅう)
Zhēn Dé xiù
生没年:1178-1235
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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中国、南宋(なんそう)の学者。浦城(ほじょう)(福建省浦城県)の人。字(あざな)は景元、のち景希と改め、西山先生と称される。諡(おくりな)は文忠。1199年(慶元5)進士に及第。理宗(在位1224〜1264)のとき、知泉州、知福州を経て、翰林(かんりん)学士から参知政事へと累進する。韓侂冑(かんたくちゅう)によって朱子(朱熹(しゅき))の学問が偽学であるとして弾圧されるが、その再興に力を注ぎ、周敦頤(しゅうとんい)、胡安国(こあんこく)、朱子、張栻(ちょうしょく)の学問による勉学を奨励した。天下には理のない気、気のない理は存在しないとする理気二元論は、朱子の伝統をもっともよく継承したものである。1234年(端平1)、のちの帝王の必読の書として尊崇された『大学衍義(だいがくえんぎ)』43巻を上進した。著書に『西山先生文集』55巻、『西山読書記』61巻などがある。
[菰口 治 2016年2月17日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報