中国、北宋(ほくそう)の思想家。字(あざな)は茂叔(もしゅく)、道州営道(湖南省道県)の人。濂渓(れんけい)の上(ほとり)に生まれ、晩年、廬山(ろざん)の麓(ふもと)に濂渓書堂を築き、よって濂渓先生と称せられた。生涯、地方官として各地を転々とし、任地では徳望があって一部の識者にその人格の高潔さをたたえられはしたが、当時はほとんど無名に近かった。彼が孟軻(もうか)(孟子)以来の絶学を伝えた者として思想界に重んじられるのは、朱熹(しゅき)(朱子)の表彰による。著作には『太極図(たいきょくず)』『太極図説』『通書』などがあり、のちに編纂(へんさん)された『周子全書』に収める。その学説は『易(えき)』と『中庸(ちゅうよう)』とを根拠にして道家・道教の思想を取り込んでいるが、「無極而(にして)太極」説をはじめ主静説、誠説、聖人可学説など、宋学の根幹にかかわる問題を多々含んでいた。
[大島 晃 2016年2月17日]
『荻原擴著『周濂渓の哲学』(1935・藤井書店)』▽『西晋一郎・小糸夏次郎訳注『太極図説・通書/西銘・正蒙』(1938・岩波文庫)』
中国,北宋時代の哲学者。湖南省の人。字は茂叔。その号濂渓(れんけい)は,彼が廬山蓮花峰(れんげほう)のふもとにかまえた濂渓書堂にちなむ。官僚としての経歴には目だったところはないが,朱熹(しゆき)の顕彰により,道学(朱子学)の第一走者として崇敬され,《宋史》道学伝の筆頭に伝記を立てられた。著書に《通書》と《太極図説》がある。前者で説かれる〈人は学ぶことによって聖人になりうる〉という主張は,のちの朱子学と陽明学のバックボーンとなった。後者は,1枚の《太極図》とその短い解説から成る。ほんらいこの図は,錬金術の公式として道教徒のあいだに伝えられてきたものだが,彼はこれを儒教的見地から解釈しなおし,〈太極〉において宇宙自然と人間とを統一することに成功した。朱子学の基本的な枠組みは,この《太極図説》をぬきにしては考えられない。彼はほかに,蓮(はちす)の花のすがすがしさを讃えた《愛蓮の説》という名文を残している。
執筆者:三浦 国雄
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1017~73
北宋盛期の学者。道州営道(湖南省道県)の人,号は濂渓(れんけい)。『易経』(えききょう)と『中庸』(ちゅうよう)にもとづき,道家(どうか)思想を入れ,仏教哲学で調整して『太極図説』(たいきょくずせつ)『通書』(易通)を著した。道徳論を宇宙哲学より基礎づけて宋学の祖と称される。
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…強烈な個性の持主であった彼らは,既存のあらゆる権威を否定し,経書そのものに没入してその真の精神を体得し,それを現在に生かそうとする理想に燃えていた。范仲淹,欧陽修らはそれを学問的に体系づけるまでにはいたらなかったが,これをうけた周敦頤(しゆうとんい)は,宇宙の生成過程を図式化して説明を加えた《太極図説》を著して,新儒学の青写真を示した。その学説は張載,程顥(ていこう),程頤(ていい)に受け継がれ,南宋の朱熹(子)にいたって大成された。…
…その出典は《易》繫辞伝(けいじでん)の〈易に太極あり,これ両儀を生じ,両儀 四象を生じ,四象 八卦(はつか)を生ず〉である。北宋の周敦頤(しゆうとんい)はこれにもとづいて《太極図説》を著し,〇で象徴される太極から万物が生み出される過程を図式化した。太極はそこでは原初の混沌たる一気を意味したが,南宋の朱熹(しゆき)はこれを〈気〉とは別の範疇(はんちゆう)である〈理〉と解釈しなおし,しかも万物に内在する個別的な理(各具太極)を統(す)べる窮極的存在(統体太極)とみなした。…
※「周敦頤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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