真慧(読み)しんえ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「真慧」の意味・わかりやすい解説

真慧(しんえ)
しんえ
(1434―1512)

しんね」とも。室町時代の僧。真宗高田派の第10世宗主で、同派の中興者。9世定顕(じょうけん)(1416―1464)の嫡子と伝えられているが、京都の公家(くげ)葉室(はむろ)家の出であるとの説が有力である。1459年(長禄3)北陸巡化(じゅんげ)を行い、ついで近江(おうみ)(滋賀県)坂本で天台を学び、1460年(寛正1)伊勢(いせ)(三重県)に入った。1464年、定顕の没によって高田派本山下野国(しもつけのくに)(栃木県)専修寺(せんじゅじ)を継ぎ、翌1465年これを伊勢一身田(いっしんでん)(津市)に移した。この年、京都大谷の本願寺比叡(ひえい)山徒によって破却されたとき、本願寺派とは異なることを表明して比叡山の圧力を避け、以来本願寺派と対立する。加賀一向一揆(いっこういっき)(石川県)で滅ぼされた富樫政親(とがしまさちか)の妻を正室に迎えたのも、そうした事情による。各地の高田派系小教団を統合し、専修寺を本山とする教団組織を確立した。著書に『顕正流儀鈔(けんしょうりゅうぎしょう)』がある。

大桑 斉 2017年8月21日]


真慧(しんね)
しんね

真慧

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真慧」の解説

真慧 しんね

1434-1512 室町-戦国時代の僧。
永享6年生まれ。浄土真宗。下野(しもつけ)(栃木県)高田専修寺の定顕(じょうけん)の子(一説に弟)。加賀,越前(えちぜん),近江(おうみ),伊勢(いせ)などに親鸞(しんらん)の教えをひろめ,寛正(かんしょう)5年(1464)専修寺をつぐ。翌年,本願寺の蓮如(れんにょ)との関係をたち,伊勢一身田に無量寿院(専修寺)を建立,高田派教団の勢力を拡大した。永正(えいしょう)9年10月22日死去。79歳。著作に「顕正流義抄」など。

真慧(1) しんえ

?-? 平安時代前期の僧。
貞観(じょうがん)6年(864)僧綱(そうごう)の位階が制定され,伝灯大法師位の真慧ら7名は法橋上人(ほっきょうしょうにん)位・権律師(ごんのりっし)となった。

真慧(2) しんえ

しんね

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の真慧の言及

【専修寺】より

…真宗高田派の本山で,伊勢国内をはじめ,三河,越前など全国に650の末寺を持つ。室町中期に,高田派第10世真慧(しんね)が伊勢国内に教線を拡大し,その中心寺院として建設したのが草創で,初めは無量寿院と称した。しかし教団の中心であった下野国高田の専修寺が兵火で焼失するなどのことがあって,1548年(天文17)からは専修寺住持が住むようになり,実質上教団の中心はこちらに移り,やがて寺名も専修寺となった。…

※「真慧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android