日本大百科全書(ニッポニカ) 「真観」の意味・わかりやすい解説
真観
しんかん
(1203―1276)
鎌倉中期の歌人。俗名藤原光俊。右大弁(うだいべん)入道あるいは弁入道とよばれる。承久(じょうきゅう)の乱で処刑された葉室光親(はむろみつちか)の子。右少弁、蔵人(くろうど)を経て右大弁に至る。寛喜(かんき)・貞永(じょうえい)(27~31歳)ごろ藤原定家(ていか)の門弟となり、『新勅撰集(ちょくせんしゅう)』にも入ったが、定家没(1241)後、為家(ためいえ)の歌壇支配に不満で、六条家の知家(ともいえ)(蓮性(れんしょう))らとともに、九条基家(もといえ)、衣笠家良(きぬがさいえよし)ら顕門に取り入り、宗尊(むねたか)親王の威をかさに着て叛旗(はんき)を翻した。これが反御子左(みこひだり)派で、万葉尊重と自由主義を唱え、彼自身は博識衒学(げんがく)であった。基家以下とともに『続古今集』の撰者に途中から加わったほか、『現存六帖(げんそんろくじょう)』『秋風抄(しゅうふうしょう)』など多くの私撰集、歌論書『簸河上(ひのかわかみ)』などの撰著がある。建治(けんじ)2年6月9日没。