日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢野仁一」の意味・わかりやすい解説
矢野仁一
やのじんいち
(1872―1970)
東洋史家、とくに中国の外交史、近代史を研究。山形県に生まれる。東京大学西洋史科を卒業し、1905年(明治38)清(しん)国政府学部より進士館教習として招聘(しょうへい)され、青年に新教育を行う。この間、雑誌『燕塵(えんじん)』に執筆し、北京(ぺキン)旧跡を紹介、また桑原隲蔵(じつぞう)、三島海雲と「東蒙古(もうこ)」を旅行した。12年(大正1)京都大学助教授に任ぜられ、教授に進み定年を迎えた。主著『支那(しな)近代外国関係研究』および『近世支那外交史』は、これほどよく欧文、漢文の記録を読みこなして利用したものはない。ただ、その満(満州)・蒙(蒙古)・回(新疆(しんきょう))・蔵(チベット)は支那固有の領土ではないという論は、内外の物議を招いた。著書30余冊、その最後の『中国人民革命史論』(1966・非売品)は、当時起こっていた文化大革命が妄動であることを批判した。
[宮崎市定]
『『支那近代外国関係研究』(1939・弘文堂書房)』▽『『近世支那外交史』(1940・弘文堂書房)』