明治〜昭和期の東洋史学者 京都帝国大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
東洋史学者。福井県敦賀(つるが)に生まれ、京都府立中学校、第三高等中学校を経て、東京帝国大学漢学科を卒業し、引き続き大学院に入り東洋史を専攻した。当時まだ東洋史の学科がなく、この名が定着するには実は大学院時代に書いた名著『中等東洋史』が果たした役割が大きかったといわれる。第三高等学校、東京高等師範学校の教授となり、2年間清(しん)国に留学し、各地を旅行して帰国し、京都帝国大学教授に任ぜられ、東洋史を講じた。その学風は科学的に正確な歴史学の建設に志し、従来のシナ史から、漢民族と周囲諸民族との関連を重視した東洋史、さらには東洋と西方との交渉へと、研究範囲を広げた。『宋(そう)末の提挙市舶西域人蒲寿庚(ほじゅこう)の事蹟(じせき)』が代表作で、学士院賞を受けた。ほかに多数の著述があり、なかでも「大宛(だいえん)国の貴山城に就いて」の論文を出し、以後東京の白鳥庫吉(くらきち)・藤田豊八(とよはち)両博士と、華々しい論争を展開したのは有名である。
[宮崎市定]
『『桑原隲藏全集』5巻・別冊1(1968・岩波書店)』▽『桑原隲藏著『中国の孝道』(講談社学術文庫)』
東洋史学者。福井県出身。1896年に帝国大学漢学科を卒業,東京高師教授をへて京都帝大教授となる。ヨーロッパの史学研究法をとり入れて東洋史学の建設につとめ,初めは《中等東洋史》などによって東洋史教育に功績をのこし,京大赴任以後は,法制史,東西交通史などの分野で堅実な業績を挙げた。名著《蒲寿庚の事蹟》をはじめとする全著作は《桑原隲蔵全集》(1968)に収められた。桑原武夫はその息である。
執筆者:礪波 護
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…こうした政治的背景のもとで朝鮮,中国,北アジアなどの歴史を近代歴史学として研究・叙述しようとする風潮が生まれ,また西洋史中心であった外国史のなかに東洋史を独立して設けようとする動きが高まった。《支那通史》(1880‐90)の著者として知られる那珂通世(みちよ)の提議により,1894年中等学校の外国史を西洋史と東洋史に分けて教授することとし,これに応じて桑原隲蔵(じつぞう)の《中等東洋史》などが刊行された(1898)。東京帝国大学では初め漢文学科に包摂されていた支那史学が独立し,一方西洋史中心の史学科に東洋史学講座が新設され,やがて両者が合体して東洋史学科となった(1918)。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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