日本大百科全書(ニッポニカ) 「石下」の意味・わかりやすい解説
石下
いしげ
茨城県南西部、結城郡(ゆうきぐん)にあった旧町名(石下町(まち))。現在は常総市(じょうそうし)の北部を占める地域。旧石下町は1897年(明治30)町制施行。1954年(昭和29)豊田、岡田、飯沼(いいぬま)の3村と玉村の一部を編入。2006年(平成18)水海道市(みつかいどうし)に編入、同市は名称変更して常総市となった。旧町域は関東鉄道常総線が通じ、国道294号が走る。江戸時代の下総(しもうさ)国豊田郡本石下、新石下2村が基礎。中央を鬼怒(きぬ)川が流れ、東は小貝(こかい)川の低地。西は結城台地を経て飯沼川低地で、冬の季節風が強い。平安時代、平将門(まさかど)の本拠地豊田の館(やかた)があった。江戸時代は、江戸に通じる鬼怒川水運の河岸(かし)として発達した。明治30年代まで生産されていた縞木綿(しまもめん)は、その後、絹綿交織の「石下紬(つむぎ)」となり、機械化と工場制で発展、昭和30年代より純絹化した。将門公苑(こうえん)のほか、国生(こっしょう)には、小説『土』の長塚節(ながつかたかし)の生家(県指定文化財)がある。1921年(大正10)ころの自由教育運動は有名。
[櫻井明俊]