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長塚節 ながつか たかし

百科事典マイペディアの解説

長塚節【ながつかたかし】

歌人,小説家。茨城県生れ。正岡子規に師事して短歌,写生文を学び,《アララギ》同人となって,万葉調の写生歌を詠(よ)む。また夏目漱石の推挙で長編《》を《東京朝日新聞》に連載。
→関連項目馬酔木石下[町]写生文根岸短歌会藤沢周平ホトトギス

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長塚節 ながつか-たかし

1879-1915 明治-大正時代の歌人,小説家。
明治12年4月3日生まれ。病気で水戸中学を中退し,明治33年から正岡子規に師事。36年伊藤左千夫(さちお)らと「馬酔木(あしび)」を創刊,写生説を説いた。43年夏目漱石(そうせき)の勧めで「東京朝日新聞」に小説「土」を連載した。大正4年2月8日死去。37歳。茨城県出身。歌集に「病中雑詠」「鍼(はり)の如(ごと)く」など。
【格言など】白埴(しらはに)の瓶(かめ)こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり(「鍼の如く」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

長塚節

没年:大正4.2.8(1915)
生年:明治12.4.3(1879)
明治時代の歌人,小説家。号に桜芽,夏木,青果,黄海楼主人。豪農でのちに県会議員となった源次郎・たかの長男。茨城県岡田郡(結城郡)生まれ。茨城尋常中学校(県立水戸中学)に首席で入学したが,脳神経衰弱のため中退。このころから雑誌に短歌を投稿してしばしば入選。子規の『歌よみに与ふる書』などを読んで異常な感銘を受け,明治33(1900)年に初めて子規を訪ねて入門。以後上京ごとに子規を訪れ,根岸短歌会に出席して伊藤左千夫らと親しむ。子規の影響により,『万葉集』,神楽,催馬楽などを研究し,作歌に生かす。子規没後,36年創刊の『馬酔木』の同人となり,41年の廃刊後,『アカネ』をへて同年『アララギ』に参加。短歌や歌論「写生の歌に就いて」(1905)などを発表して写生の徹底をめざし,アララギ興隆の基礎を築く。文学活動のほか,子規の勧めもあって郷里で炭焼き,肥料改良などの農事研究にも従事。また旅行好きで,全国的に旅をする。44年黒田てる子と婚約するが,喉頭結核のため解消。東京,福岡などの病院で治療を受けるが,病気の悪化により死去。短歌の代表作には死の間際まで続けた連作「鍼の如く」(1914~15)があり,小説には短編「芋掘り」(1908)などのほか,農民文学の古典とされる長編「土」(1910)がある。<参考文献>大戸三千枝『歌人長塚節の研究』,北住敏夫『長塚節』

(佐伯順子)

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世界大百科事典 第2版の解説

ながつかたかし【長塚節】

1879‐1915(明治12‐大正4)
歌人,小説家。茨城県生れ。父源次郎は地主で県会議員を務める村の有力者であった。その長男に生まれたが,病弱のため水戸中学を中退。1900年正岡子規の門に入り,子規没後は《アララギ》派の中心の一人となる。節の歌は自然の鋭い観察と繊細な感覚表現に特徴があり,晩年になると,写生を基調に清澄にして気品の高い調べと,孤愁哀感余情とする歌風を完成した。08年から10年にかけて写生文《佐渡ヶ島》(1907),短編《芋掘り》(1908),《》などを発表し,写生の方法による自然と現実の描写の極北を示した。

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大辞林 第三版の解説

ながつかたかし【長塚節】

1879~1915) 歌人・小説家。茨城県生まれ。子規に師事。「馬酔木あしび」「アララギ」同人として短歌・写生文を発表、農村風物の精緻な描写は異彩を放った。歌集「鍼の如く」、小説「土」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長塚節
ながつかたかし

[生]1879.4.3. 茨城,岡田
[没]1915.2.8. 福岡
歌人,小説家。地主の長男として生れ,水戸中学校中退。 1900年正岡子規の門に入り,子規没後は『馬酔木 (あしび) 』同人。田園歌人として鋭く繊細な写生の境地を深めた『青草集』 (1906) ,『初秋の歌』 (08) ,『濃霧の歌』 (09) を経て透徹した歌境を開き,病床で絶唱『鍼 (はり) の如く』 (14~15) を残した。写生文にも力を注ぎ,『炭焼のむすめ』 (06) ,『佐渡が島』 (07) は夏目漱石の激賞を受け,小説では『芋掘り』 (08) ,『開業医』 (09) ,『おふさ』 (09) などの短編に続いて,長編『』を発表,貧農の悲惨な生活を克明に描いて写生文的リアリズムの頂点をきわめた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長塚節
ながつかたかし
(1879―1915)

歌人、小説家。明治12年4月3日、茨城県結城(ゆうき)郡国生(こっしょう)村(現常総(じょうそう)市)に生まれる。父が県会議長を務めたこともある素封家に生まれたが、家運は傾いていた。水戸中学校を神経衰弱のため中退、文学に親しみ短歌をつくり始めた。21歳のとき上京し正岡子規(まさおかしき)を訪れ門人となり、その師弟の情は「理想的愛子」といわれた。子規死後、同門の伊藤左千夫(いとうさちお)らと行をともにし『馬酔木(あしび)』『アカネ』『アララギ』などを出し、「写生の歌」と自らよぶ精緻(せいち)で気品をたたえた自然詠をつくった。またそのころから小説を書き、1910年(明治43)『東京朝日新聞』に日本の最初の農民文学ともいうべき長編小説『土』を連載。翌年のころより喉頭(こうとう)結核を病み、ふたたび短歌をつくり、『鍼(はり)の如(ごと)く』(1914~1915、『アララギ』所載)と題する哀韻深い231首の作品を残し、大正4年2月8日、旅先の福岡の病院で36年の生を終えた。[近藤芳美]
 白埴(しらはに)の瓶(かめ)こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
『『長塚節全集』7巻・別巻1(1976~1978・春陽堂書店) ▽斎藤茂吉編『長塚節研究』上下(1944・筑摩書房/再刊・1983・日本図書センター) ▽平輪光三著『長塚節・生活と作品』(1943・六芸社) ▽北住敏夫著『長塚節』(1981・桜楓社) ▽『長塚節歌集』(旺文社文庫)』

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世界大百科事典内の長塚節の言及

【土】より

長塚節の長編小説。1910年(明治43)に《朝日新聞》に連載。…

【ペンネーム】より

…日本の近代作家のペンネームには,〈くたばってしまえ〉をもじった二葉亭四迷のような乾いたユーモアを主張するまれな例を除けば,(夏目)漱石,(正岡)子規など古典の章句などから構成した雅号風のものが多かった。写生を創作の基軸としたとき,伊藤左千夫が平仮名〈さちを〉の称を捨て,長塚節が本名をつらぬいたことなどは,雅号と作家の近代意識との関連を考えさせる。また《明星》を主宰した与謝野寛がある時期以降,鉄幹の号を廃したことにも,過渡期を読みとることができる。…

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