市浦検校(読み)いちうらけんぎょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「市浦検校」の意味・わかりやすい解説

市浦検校
いちうらけんぎょう

江戸時代の盲人地歌箏曲家。3世にわたるが,いずれも生没年未詳。1世は安村検校門下の石塚検校弟子で,都名(いちな)はたく一。宝暦5(1755)年に検校となる。大坂の新生田流の伝承を確立している。2世は 1世の弟子で都名は卯の一。文化11(1814)年検校に登る。3世は 2世の弟子の 3世中川検校が継ぐ。都名は路之一。文政11(1828)年検校登官。1世あるいは 2世のうち,どちらかが『歌曲時習考』(1881増補)に付載された箏組歌目録の改訂に関係している。また地歌三弦の手に対して,装飾風な替手をつける替手式箏曲の先駆者といわれている。城志賀作曲の『万歳』に,当時としては珍しいオルゴールにヒントを得たの新調子オルゴル調子(オランダ調子)を考案して替手をつけた『和蘭陀万歳』は特に有名(→万歳)。ほかに峰崎勾当藤尾勾当石川勾当岸野次郎三郎などの曲にも箏の手をつけている。新生田流の流れは 2世市浦検校から大坂中筋の祖 3世中川検校へと伝えられた(→生田流)。

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改訂新版 世界大百科事典 「市浦検校」の意味・わかりやすい解説

市浦検校 (いちうらけんぎょう)

近世,大坂の盲人箏曲家。3世まであるが,いずれも生没年不詳。(1)初世 安村検校(?-1779)門下の石塚検校の弟子で,大坂の新生田流を確立。都名(いちな)はたく一。(2)2世 初世の門下で,都名は卯の一。1814年(文化11)検校登官。(3)3世 2世の門下で,都名は多賀の一。1825年(文政8)登官。1805年板《歌曲時習考(かきよくさらえこう)》の箏曲目録の改板の生田流の訂正に参加したのは初世または2世。城志賀作曲の地歌端歌《万歳》にオルゴール調子による箏替手を付け,三味線とは異なる旋律を付けた替手式箏曲への道を開いた《阿蘭陀万歳(オランダまんざい)》や,峰崎勾当(こうとう)の《越後獅子》の替手《雲井越後》,藤尾勾当の《虫の音》の替手《中空(なかぞら)越後》などの作曲や,石川勾当作曲《融(とおる)》や,岸野次郎三郎作曲《古道成寺》などの箏の手付けは,市浦検校とされるが,いずれの市浦かは不明。なお2世から3世中川検校への新生田流の伝承は,〈中筋(なかすじ)〉といわれている。
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朝日日本歴史人物事典 「市浦検校」の解説

市浦検校

生年:生没年不詳
江戸後期,19世紀初頭の箏曲家。大坂で活躍した。地歌(三味線曲の一種)に,箏を合奏させる新しい様式(替手式箏曲)を創始したと伝えられ,そのための箏の新調弦を工夫。代表作は「オランダ万歳」(「万歳」の箏の手),「雲井越後」(「越後獅子」の箏の手)など。市浦姓は3代まであるが,初代あるいは2代目か。

(千葉潤之介)

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世界大百科事典(旧版)内の市浦検校の言及

【阿蘭陀万歳】より

…箏曲。市浦検校作曲。18世紀末,城志賀作曲の地歌端歌《万歳》に,オランダ渡来のオルゴールにヒントを得たオランダ調子による箏の手を付けたものをいう。…

※「市浦検校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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