コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

織田作之助 おださくのすけ

7件 の用語解説(織田作之助の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

織田作之助
おださくのすけ

[生]1913.10.26. 大阪
[没]1947.1.10. 東京
小説家。第三高等学校に5年在学して退学 (1936) 。『雨』 (38) で武田麟太郎に認められ,結婚 (39) 後,『夫婦善哉 (めおとぜんざい) 』 (40) で作家としての地位を確立,『勧善懲悪』 (42) ほかの力作を続々発表したが,長編『青春の逆説』 (41) が反軍国主義作品として発禁処分を受けた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

おだ‐さくのすけ【織田作之助】

[1913~1947]小説家。大阪の生まれ。大阪庶民の生活を描いた作家として知られる。小説「夫婦善哉(めおとぜんざい)」「世相」「土曜夫人」、評論「可能性の文学」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

織田作之助【おださくのすけ】

小説家。大阪生れ。三高中退。武田麟太郎に注目され,1940年《夫婦善哉(めおとぜんざい)》で文壇に出た。第2次大戦後,混乱した世相・風俗を鋭い感覚的な筆で書き,一躍流行作家となったが,長編《土曜夫人》執筆中にたおれた。
→関連項目坂口安吾太宰治野坂昭如林忠彦風俗小説無頼派

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

織田作之助 おだ-さくのすけ

1913-1947 昭和時代の小説家。
大正2年10月26日生まれ。昭和15年同人雑誌「海風」に発表した「夫婦善哉(めおとぜんざい)」でデビュー。戦後,大阪をえがいた「世相」「競馬」などで坂口安吾,太宰治とならぶ無頼(ぶらい)派の人気作家となる。「読売新聞」に「土曜夫人」を連載中に喀血(かっけつ)し,昭和22年1月10日急死。35歳。大阪出身。第三高等学校中退。
【格言など】天才は昔から無一文(夫人にあてた遺書の一部)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

おださくのすけ【織田作之助】

1913‐47(大正2‐昭和22)
小説家。大阪生れ。家業は仕出屋であった。高津中から三高に学ぶ。同級に詩誌《椎(しい)の木》同人の白崎礼三がいて,文学的感化を受け,1年上級の青山光二などと同人雑誌《海風》を創刊,《雨》を発表し,同郷の先輩作家武田麟太郎に注目される。1940年,《夫婦善哉(めおとぜんざい)》が改造社の第1回文芸推薦作品となり,以後,新進作家として続々作品を発表。スタンダールの《赤と黒》に影響され,《二十歳》《青春の逆説》(1941)の長編2部作を書いたが,後者は発禁になる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

おださくのすけ【織田作之助】

1913~1947) 小説家。大阪市生まれ。三高中退。「夫婦善哉」で大阪の下町に生きる人々を描いて注目され、戦後は反逆とデカダンスで人気を博したが早逝。小説「世相」「土曜夫人」、評論「可能性の文学」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

織田作之助
おださくのすけ
(1913―1947)

小説家。大正2年10月26日、大阪市中央区生玉前町に生まれる。父鶴吉、母たかゑの長男。事情あって母の兄鈴木安太郎の戸籍に登載。のち両親の婚姻届け出、父の認知届け出とともに織田姓に改められた。家業は鮮魚商。1931年(昭和6)高津中学を卒業し旧制第三高等学校に入学。33年、処女戯曲『落ちる』を発表。35年、同人誌『海風』を創刊。36年、三高を退学。38年、処女小説『ひとりすまう』を発表。『雨』(1938)が武田麟太郎(りんたろう)に注目された。39年、宮田一枝と結婚。40年『俗臭』(1939)が芥川(あくたがわ)賞候補となり、『夫婦善哉(めおとぜんざい)』(1940)が改造社第1回文芸推薦作品受賞作となって、新進作家としての地位を獲得。41年『青春の逆説』を刊行したが発禁となる。『動物集』(1941)は正宗白鳥(まさむねはくちょう)から賞賛された。42年から一連の歴史小説や清楚(せいそ)な名作『木の都』(1944)などが発表された。44年、一枝を失う。
 第二次世界大戦後、1946年(昭和21)『六白金星』『アド・バルーン』『世相』『競馬』と問題作を集中的に発表、流行作家の名をほしいままにし、さらに長編『夜光虫』『土曜夫人』を発表。伝統文学を超克する評論『可能性の文学』を発表と同時に喀血(かっけつ)し、翌47年(昭和22)1月10日死去。大阪楞厳(りょうごん)寺に眠る。[伴 悦]
『『織田作之助全集』全8巻(1970・講談社) ▽青山光二著『青春の賭け――小説織田作之助』(中公文庫) ▽大谷晃一著『生き愛し書いた――織田作之助伝』(1973・講談社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の織田作之助の言及

【夫婦善哉】より

豊田四郎監督作品。織田作之助の出世作であり代表作ともなっている同名小説(1940)の映画化(脚本は八住利雄)で,大阪船場の化粧品問屋の生活力のまったくない放蕩息子(森繁久弥)と水商売の女(淡島千景)との〈腐れ縁〉を笑いとペーソスのなかに描いた風俗映画の傑作として評価される。〈まるでこの作品のために生まれてきたような〉森繁久弥(1913‐ )の一つの頂点を示す名演で,〈おばはん,たよりにしてまっせ〉というラストシーンのせりふの名調子に象徴される関西弁の魅力とあいまって,大阪情緒に彩られた〈関西弁映画〉の代表作となるとともに,豊田四郎監督の〈文芸映画〉の代表作ともなっている。…

※「織田作之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

織田作之助の関連キーワード菊池幽芳斎藤弔花滋岡従長アッシュ玄月仕出し染仕出し地大阪府枚方市出屋敷西町大阪府枚方市出屋敷元町仕出屋

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

織田作之助の関連情報