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第二次世界大戦後の一時期、旺盛(おうせい)な活躍ぶりをみせ注目を浴びた太宰治(だざいおさむ)、坂口安吾(あんご)、石川淳(じゅん)、織田作之助(おださくのすけ)、田中英光(ひでみつ)らを核とする一群の作家たちに与えられた名称。彼らは昭和10年代に作家としての位置を確保しており、反俗、反秩序を基とする無頼的姿勢もすでにその時期に固まっていた。戦後それが一挙に噴き出したといえるが、大別すると二つの傾向がある。下降的な姿勢――破滅へ向けての生活無頼にウェイトのかかっている作家と、在来のリアリズムの否定――新たな方法の追究にウェイトの置かれている作家とである。前者に太宰、坂口、織田、田中ら、後者に石川、高見順、伊藤整(せい)らがいるが、無頼派としての主流的存在は前者であった。
[島田昭男]
『『無頼文学辞典』(1980・東京堂出版)』
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…40年には大井広介,平野謙らの《現代文学》に参加し,同誌に《日本文化私観》(1942)などを書いたほか,《青春論》(1942)その他の卓抜なエッセーを発表した。その延長線上に,戦後《堕落論》を書いて太宰治,織田作之助らとともに〈無頼(ぶらい)派〉と呼ばれ,流行作家として活躍,《白痴》(1946),《桜の森の満開の下》(1947),《不連続殺人事件》(1947‐48)などの名作を残した。【大久保 典夫】。…
…太平洋戦争後の日本文学を指し,広義では戦後に書かれた文学の総称,狭義では〈戦後派〉の文学運動を通じて実現した文学をさす。1945年の日本の敗戦の結果,連合軍の占領下におかれたとはいえ表現の自由は戦中よりも著しく増大し,まず既成作家の復活が正宗白鳥,永井荷風,川端康成らの作品発表としてあらわれ,それより下の世代では昭和10年代作家の活動が坂口安吾,太宰治ら〈無頼(ぶらい)派〉の作品および高見順,伊藤整らの内省にみちた再出発としてあらわれた。しかし文学運動として注目されたのは,戦前のプロレタリア文学を継承する雑誌《新日本文学》を創刊した中野重治,佐多稲子,蔵原惟人らの活動,およびその運動を内在的に批判しながら個人の自由な開花をめざした《近代文学》派の批評活動であった。…
※「無頼派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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