石見国分寺跡(読み)いわみこくぶんじあと

日本歴史地名大系 「石見国分寺跡」の解説

石見国分寺跡
いわみこくぶんじあと

[現在地名]浜田市国分町

国府こくふ海岸の東側、日本海に岬状に突き出た標高五〇―六〇メートルの丘陵地にあり、浜田市国分こくぶ町の金蔵こんぞう境内を含む一帯と推定される。国指定史跡。浜田市教育委員会による昭和六〇年(一九八五)の発掘調査では塔跡の西辺と北辺を区画する列が確認された。塔の方位は真北で、一辺は一二―一四メートルの基壇を備える。同六一―六三年の調査では塔跡の北方六〇メートルの調査区から大量の瓦片などとともに七世紀後半と考えられる銅造釈迦誕生仏立像が発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「石見国分寺跡」の解説

いわみこくぶんじあと【石見国分寺跡】


島根県浜田市国分町にある寺院跡。日本海岸の石見畳ヶ浦に向かって突き出す標高54mの丘陵上に、江戸時代に建立された金蔵寺があり、1917年(大正6)、この境内から塼(せん)が発見された。そして、ここが741年(天平13)、聖武天皇の詔(みことのり)によって全国に造られた国分寺の一つ、石見国分寺跡と考えられ、1921年(大正10)に国の史跡に指定された。寺域や伽藍(がらん)配置などの詳細は不明だが、金蔵寺本堂の東南側に土壇と礎石が残っており、塔跡とみられる。塔跡は真北を基準にして建っていたとされ、当時は中門、金堂講堂、食堂、塔などが立ち並び、壮大な規模を誇っていたと考えられる。1988年(昭和63)には、寺域内から白鳳(はくほう)時代(7世紀後半)の作と推定される銅造誕生釈迦仏立像が出土した。国分寺跡から誕生仏が出土したのは全国初で、仏像は銅製で、頭部と両手首などを欠くが、全高11.6cm、像高は9cm、重さ170gと小型である。大量の瓦も出土しているが、近くにある石見国分尼寺跡から出土する瓦と同じ文様である。また、伯耆(ほうき)国分寺跡と類似のものや新羅(しらぎ)系の瓦なども認められる。東350mほどのところに石見国分尼寺跡がある。JR山陰本線下府(しもこう)駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報