社会主義を標榜(ひようぼう)する国々は第三世界に少なからずみられたし,また西ヨーロッパではしばしば社会民主主義政権の誕生がみとめられる。しかし,資本主義と異なった原理で組織された社会としての社会主義社会は,ソ連邦,東ヨーロッパ,東アジア,キューバなどの共産主義国に実現されたものに限られる。これらの諸国は,いずれもマルクス=レーニン主義から出発して社会主義社会の建設と発展をすすめた。それぞれみずからの歴史を背景として多様なあり方を示し,とくにユーゴスラビアのように際だった独自性を打ち出したものもあるが,なおいくつかの基本的な特徴が共通に確認される。
このような意味での社会主義社会は,1917年のロシア革命が端緒となり,30年代はじめに原型がソ連邦の領域に成立した。この社会は,30年代末に第2次的に形成された狭義のスターリン主義的追加構造が56年以後のスターリン批判によって除去されることによって,70年代,ブレジネフ時代に成熟をとげ,この社会は〈国家社会主義〉とよばれることが多い。
第2次世界大戦後,ソ連軍が占領した東ヨーロッパには,占領軍の強い影響下に,いわゆる〈人民民主主義〉の名のもとに,ソ連型社会主義が導入された。これは1956年のハンガリー(ハンガリー事件),68年のチェコスロバキア(チェコ事件),80-81年のポーランドと3度巨大な変革運動にゆさぶられながらも,これを抑え込みつつ,それぞれ変貌をみせた。他方で,チトーの指導のもと自力で解放をかちとったといえるユーゴスラビアでは,早くからソ連との衝突を通じて,独自の自主管理型社会主義に到達した。東アジアでも,ソ連の占領下にソ連型社会主義を導入した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では,その後ソ連,中国から自立して,金日成を絶対の指導者とする独特な〈チュチェ(主体)思想〉型社会主義をつくり出した。このユーゴスラビアと北朝鮮はソ連型の変型の対照的な極をなすといえよう。中国では,日中戦争の中で,毛沢東の指導のもと自力で革命をなしとげ,大躍進,プロレタリア文化大革命など,中国型社会主義を求める数次の試みを行うことによって,基本的にはソ連型の枠内で独自の構造をつくり出した。1978年の改革・開放政策の開始から市場経済に向かい,社会主義から徐々に離れる傾向をみせている。ベトナムも同じ線上にある。そのうえで外国資本の導入や集団農業の解体など独自の展開をみせている。
マルクス,エンゲルスは,資本主義経済の科学的分析を通じて資本主義の矛盾を摘出し,それによって資本主義をこえた新しい社会(彼らはそれを共産主義社会と呼んだ)の到来の客観的必然性を主張した。しかし,その未来社会についての彼らの立論は,抽象的なものであり,多分にユートピア的なものであった。マルクス,エンゲルスは,資本主義の発展とともにその矛盾が成熟するという条件のもとで,労働者革命によって資本家国家を打倒し,プロレタリア独裁を樹立することを主張した。この権力は旧搾取階級を抑圧するとともに,プロレタリアートには真の民主主義を保障するものである。プロレタリアートはいっさいの生産用具を革命国家の所有に移し,生産関係の変革をすすめる。その結果,各人は能力に応じて働き,労働に応じて受けとるという共産主義の第一段階が実現する。生産力のさらなる高まりにしたがって,階級分化は完全になくなり,各人は能力に応じて働き,必要に応じて受けとるという共産主義の第二段階が実現され,国家は死滅するのである。
レーニンは,理論家にとどまったマルクス,エンゲルスとは異なり,ロシア革命,ソビエト国家の指導者として,社会主義建設の現実の中で苦しんだ。彼がこの経験から先の原理論に付け加えた最大のものは,共産党がプロレタリア独裁のかなめであり,党は国家権力の独占をめざさなければならないという主張であった。
このマルクスとレーニンの考えを,その後のソ連の経験の立場からスターリンがまとめ上げたのが,〈マルクス=レーニン主義〉であり,これがソ連以外に伝えられたのである。
〈マルクス=レーニン主義〉から出発した〈現実に存在する社会主義〉社会の普遍的な基本性格は,共産党が独占的に指導する国家,この党と一体化した国家が社会の中心的な主体となっているということである。この国家は〈プロレタリアート独裁〉とか〈全人民国家〉と呼ばれるが,本質的には区別はない。共産党はときには労働党(北朝鮮)とか,社会主義統一党(東ドイツ)とか呼ばれることがある。概して人口の6%前後の党員数をもつが,例外的に13~15%に達する国もあった(北朝鮮,東ドイツ,ルーマニア)。名目的に共産党以外の政党も存在して,複数政党制をとる国もある(中国,北朝鮮)が,それらの党は自主的意義をもたないので,実質的にはすべて一党制であるといってよい。共産党が代表制権力機関において独占的地位を占め,国家の政策決定を独占的に指導し,かつ国家と社会団体の人事を掌握しているのである。この点では,一党制の上に,唯一指導者の独占的指導を立て,これを公然たる制度として確立している北朝鮮は一つの極端な変型であり,共産党を共産主義者同盟と改名し,理論的には一党制を否定し,将来の無党制を展望していたユーゴスラビアは正反対の極をなす変型であった。
まず代表制権力機関の選挙では,候補者はあらかじめ党や社会団体によって指名されており,投票は信任投票の形で行われるのが一般的である。社会的な圧力のもとで,不信任票が出ることは少なく,実質的な反対票は棄権としてのみ現れることになる。当然ながら共産党は選出される代表中の多数を容易に占められるのである。しかしながら,一党制のもとでも,候補者間の選択は意味をもつため,東欧諸国では,複数候補制の導入が行われ,選挙に活気を与える試みもなされた。この点ではソ連は終始保守的であった。
政策決定とその執行面では,共産党の中央委員会政治局,書記局,その各部の責任者と機構,地方党組織などが独占的に指導するのだが,いうまでもなく共産党がすべてを決定しているわけではない。代表制権力機関の討議が実質的な意味をもつケースは多くない(中国,ポーランド)が,それでもその常設委員会などは立法過程に実質的影響を与えるし,問題によって政府各省,軍,公安警察,それに各種の社会団体などがそれぞれ独自の意見をもち,党中央機関はしばしばそれらの意見を調整・総合する機能を果たしているものと考えられる。
だが,共産党の人事面でのコントロールは強い。国家諸機関のさまざまなポストは中央でも地方でもそれぞれ党機関がもつ任命職名一覧表(ノーメンクラトゥーラ)を通じてコントロールされている。とくにこのコントロールが労働組合,青年・婦人組織,文化団体などの社会団体にも及ぶことが重要である。名目的には成員の選挙によってえらばれるこれら団体のポストも,実質的には上部党機関による事前指名によるか,事後的な拒否によって,コントロールされるのである。このシステムは,社会団体を国家の側に取りこむ梃子(てこ)として機能している。
この社会では,国民をさまざまに組織する社会団体は,党・国家と一体化して,国民を体制に統合・動員する重要な装置となっている。とくに労働組合は,創作団体とともに働く成人をほぼすべて組織しているし,青年・少年組織も特に発達している。一党制国家とは,党・国家・社会団体の三位一体的,三重結合的な体制として現出するのであり,これが社会主義社会の政治的中核,公的権威である。
この国家のもっとも重要な機能は,生産手段の独占的所有者であり,かつ生産の独占的・集権的・計画的組織者たることである。ここに形成されるのが社会主義的経済制度とされる。ところで,国家的所有から出発しつつも管理を分権化し,労働者自主管理を採用するユーゴスラビアの変型が出現した。この自主管理型に対して,一般型,ソ連型を国家主導型と呼ぶ論者も出ている。この国家主導型の場合,国家はもっとも強力であった。
イデオロギー的には公的権威による統制が一定の範囲内で徹底的に行われており,公的権威による民衆の動員が政治の基本的形態である。
まず新聞,雑誌,ラジオ,テレビなどのマス・コミュニケーションは党営,国営,社会団体営であり,基本的に同一傾向の報道と論評を提供する。この社会でもっとも大量の部数をもつもっともポピュラーな新聞は,共産党の機関紙であるのが準則である。社会団体の機関紙は準国営というべきであるが,たとえば作家同盟の機関紙などは一般の新聞とはすこし傾向の違う記事,現実暴露的な記事をのせる場合がある。しかし,党と国家の方針と施策を説明し,その実現のために国民を動員するのがすべての新聞の使命なので,公的権威の中核を批判することはありえない。ラジオやテレビの場合はすべて国営である。
次に教育は,初等教育より高等教育まですべて国営であり,したがって教科書もまたすべて国定教科書で,画一的な教育が行われている。多様性が存在するのは能力による選別,エリート教育である。
出版もすべて党営,国営,社会団体営の出版所で行われる。原稿は幾重もの検閲を経て出版される。しかし,読者の欲求,内容の質ということもあり,公的権威がのぞましいと考える出版物ばかりが出るわけではない。また,地方出版所の場合,中央では出しにくいものが出版されることもある。しかし,公的権威に対して批判的なものは出版されえないのであり,サミズダート(自主出版)と呼ばれる非公認の複写物の配布が存在する。これはソ連では,カーボン紙によるタイプ・コピーであり,基本的には抑圧の対象であるが,1970年代後半のポーランドでは複写機や印刷機を使って公然と行われた。中国では壁新聞が盛んに行われ,一時は憲法によっても公認された。
文化活動も統制の対象となる。文学者も音楽家も美術家も単一の創作団体に組織され,映画・演劇人は国営のスタジオと劇団に所属した。一時は〈社会主義リアリズム〉という創作方法が強制されたが,その後は後退し,方法上の免除はかなりみとめられるようになってきた。イデオロギーから遠い芸術分野では,モダニズム的傾向も許容された。しかし,社会性が強い文学は相対的には厳しい統制のもとにおかれていた。
他方,この社会では充実した社会福祉が国家によって実現されていた。まず教育も医療も無料である。義務教育は当然無料だが,高等教育を受ける者にはさらに奨学金が与えられる。医療は通院治療のさいの薬代を負担することもあるが,治療費,入院費などはみな無料である。住宅については急速に改善がすすんでいる。住居が狭いとしてより広い住居を求める志向が強いが,費用は廉価であるのがふつうである。郊外に別荘をつくるという動きも国民の各層に広くみられる。年金制度は整っており,老後に対する心配はなかった。物価の安定と相まって,このことは生活上の安定感を生んでいた。男女差別はなく,共稼ぎ夫婦のための保育園が保障されていた。
社会主義社会には,歴史的伝統にしたがって,国によって,一元化になじまない独自な団体がのこっており,これが公的権威に対する一種の牽制要因をなしていた。ソ連では,ソビエト連邦科学アカデミーがその自治的伝統と自然科学者の優位によって,党と国家の指導下にありながら,自主的選挙を行っていた。成員の補充にあたり,さまざまな外部機関の推薦を受けるが,成員だけの自主投票で行うため,直接の監督者である党中央委員会部長であっても落選させられるようなこともあった。しかし,ソ連以外では,科学アカデミー,科学院はそのような自立的地位をもっていなかった。
これに対して,ポーランドのカトリック教会などは,ソ連のロシア正教会とは異なり,自立的な存在であり,国民に大きな影響を及ぼした。東ドイツでプロテスタント教会の牧師たちが自主的平和運動を試みたのも,はるかに狭い程度によってではあれ,教会の自立的役割の例であった。さらに団体ではないが,少数民族の存在が党と国家の政策にある種の牽制要因として機能する場合もあった。
成熟期のこの社会において,私的世界は自由である。これは物質生活についてもいえる。ソ連のコルホーズ農民の住宅付き農地での生産物の販売や,入手しがたい物資の獲得における市民どうしの連帯,ブラック・マーケットとのコネクションなどが想起される。しかし,精神面での自由はより重要である。家庭の中や信頼する友人との席では,どのように考え,どのように話すのも自由である。外国放送をきくこと,外国人を自宅へ招くことも自由であった。この点ではソ連よりも東ヨーロッパのほうがはるかに自由度が大きかった。東ドイツでは西ドイツのテレビを市民は公然とみていたし,また東ヨーロッパでは一般に外国人に対する民宿も許されていたが,ソ連では外国人を自宅にとめることはできなかった。これに対し,北朝鮮では,私的自由の余地は小さく,対外緊張の中で外部世界との遮断は徹底している。
さて,このような私的世界の存在がみとめられているため,市民は自由な私的世界と統制された公的世界との間を往復することになっていた。その結果,公的世界での〈建前〉と私的世界の〈ほんね〉との背離が生じる。この使い分けがあまりにはなはだしくなると,公的権威の失墜が生じて,体制には危険である。
社会主義社会は,さまざまな異論派を国の内外にかかえている。ソ連では70年代末までに国内の異論派をほぼ完全に抑圧したが,多くの人々が自主ないし強制で出国しており,運動をつづけていた。私的自由の世界が存在するかぎり,〈建前〉と〈ほんね〉の使い分けをのぞまぬ異論派が発生することは抑えられなかった。その存在が全体として主張するのは,言論の自由,公的権威批判の自由であった。
また80年代のポーランドでの自主労組〈連帯〉の運動はポーランドの歴史的・社会的条件と結びついて,巨大な運動となり,しかも挫折したが,この運動が提起した問題は,社会団体の自立化,つまり党・国家・社会団体の三重結合からの社会団体の自立化であった。
以上二つの要求は,現存社会主義社会の根幹を修正するものであり,体制の見地からは抑圧されねばならないが,社会の合理的発展の見地からすれば,社会主義社会は改良的にこの要求に対応せねばならないだろう。ペレストロイカはその試みであったが,それが始まると中途で安定が得られず,民主化の進展の中で社会主義社会は崩壊することになった。
→社会主義
執筆者:和田 春樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
広義には、貧困や失業、階級的搾取関係や社会的不平等、弱肉強食の競争や道徳的退廃など、資本主義がもたらした否定的諸現象とその諸原因を克服しようという思想と運動のなかで目ざされてきた一つの理想的社会像をいう。これは友愛と連帯の精神で社会成員の生活を社会的に保障し充実させ,社会的公正と平等を実現させた社会を意味し,それを実現するための方法は生産手段の公的所有ないし公的管理にあり,その目標は完全雇用を含む国民福祉の向上に置かれる。
他方、狭義には、旧ソ連、東欧諸国、中国などで共産党の権力によってつくられた社会をさす。そのイデオロギー的土台をなすのはマルクス・レーニン主義であるが、それによる社会主義社会の規定は次のようになされた。
(1)人類社会の歴史は原始共産制の崩壊後、古代奴隷制、中世封建制、近代資本制という階級社会を経て、無階級社会としての共産主義に向かう。
(2)共産主義の初期段階にはまだ階級社会の残滓(ざんし)があり、それを払拭するに十分な生産力が備わっていない。このような社会を社会主義社会という。
(3)この社会を資本主義の復活や外国勢力の干渉から守っていくためには強力な国家権力が必要とされる。
(4)また、生産力を高め共産主義の条件を整えるためには、国家の計画による経済運営が必要とされる。
このようなイデオロギー的理由づけから、社会主義社会は国家の非常に強力な統制の下に編成されることとなり、市民的自由は大きく制限ないし抑圧される社会となった。イデオロギー上では社会主義国家の役割は共産主義を準備することにあり、共産主義になれば社会は民衆の自治で管理されるようになって、国家は不用となり死滅するとされたが、現実には国家はますます肥大化し、市民社会は萎縮(いしゅく)した。この種の社会主義は批判的意味合いを込めて「国家社会主義」(state/socialism)とよばれる。これに対して民衆の自治による分権的な社会形成を主張して「自主管理社会主義」(self‐governing/socialism)が旧ユーゴスラビアで構想されたが、この国でもソ連ほどではないにせよやはり共産党とその国家による統制が社会を大きく覆った。
「国家社会主義」においては、別な面からみれば、社会は国家の庇護(ひご)の下に置かれてきた。それは親権的社会(paternalistic society)として特徴づけられる。しかし反面、国家の官僚機構は社会の需要に柔軟に対応する能力に欠け、そのため民衆は私的に生活ニーズの充足をはからねばならず、そこに公的な制度とは別にインフォーマルなネットワークを発達させる。したがって「国家社会主義」下における社会は公的制度と私的ネットワークとの二重性によって成立つ。
一般的にいって、社会主義社会が抱えるジレンマは国家のありかたとかかわる。その第一は国家と市民的自由との関係である。これはとくに「国家社会主義」の国々で問題となった点であるが、福祉国家の文脈で社会主義社会を展望してきた「社会民主主義」諸国ではこの関係を成功裏に構築してきた。第二は国家と経済的効率の関係である。国家の介入が経済の活力を阻害し社会を閉塞(へいそく)化するという見地から、しばしば社会主義社会の経済的非効率が指摘される。効率性は「社会民主主義」下でもしばしば問題とされ、新自由主義の立場からなされる社会主義批判の主要な論点の一つとなっている。
[石川晃弘]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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