日本大百科全書(ニッポニカ) 「社会病理学」の意味・わかりやすい解説
社会病理学
しゃかいびょうりがく
social pathology
社会学の分析方法を用いて、個人、集団、地域社会、産業社会、情報社会などにおける異常abnormality、逸脱行動deviant behavior、社会問題social problemを研究する学問。名称に「病理学」とあるが、社会学の一領域として存立している。社会病理学の研究対象は、伝統的には犯罪・非行、自殺・心中、売春、アルコール依存、離婚、家出、スラムといった逸脱行動ないし社会現象であった。今日はこれらに加えて、引きこもり、ドメスティック・バイオレンス、虐待、いじめ、不登校、援助交際、過労死、ストーカー、セクシュアル・ハラスメントなどが幅広く扱われている。
社会病理学は19世紀末期にドイツ系ロシア人のリリエンフェルトによって創始されたが、社会を生命体として類推する社会有機体説の影響を強く受けていた。社会有機体説では、人体に健康な状態と病気の状態があるのと同様に、社会にも健康な状態と病気の状態があると想定する。この観点から、病気の状態に陥っている社会を診断し、その原因となった問題を解決して、社会を治癒しようとするのが、初期の社会病理学であった。
しかし、リリエンフェルトの社会病理学は継承されず、もっとも発展に貢献したのは20世紀前半のアメリカのシカゴ学派社会学であった。シカゴは資本主義体制の発達に伴って急激な都市化が進行し、移民および異文化の流入や、貧富格差の拡大が顕著にみられた。それにより、犯罪・非行の増加などのさまざまな問題が発生していた。これらの問題に関する多くのモノグラフ(論文や調査報告書)が、社会病理学の古典として継承されている。ただし、アメリカでは1950年代ごろから「社会病理学」という名称にかわり、「逸脱行動論」や「社会問題の社会学」といった名称で普及している。
日本でも、社会有機体説から脱却した後の社会病理学は、実質的には「社会問題の社会学」であった。しかし、マルクス主義に依拠した「社会問題論」と区別する意図から、「社会病理学」の名称が残存してきた。社会病理学は、社会問題の本質を人々の社会生活の機能障害に求め、かならずしも社会体制の変革を指向しない立場であった。それに対して、社会問題論は、社会問題の本質を資本主義体制による矛盾に求め、社会体制の変革を指向する立場であったことから、基礎理論や思想に違いがあった。ただし、マルクス主義の衰退に伴い、1980年代までには両者の区別に関する議論が収束したため、今日の社会病理学と社会問題論には根本的な違いはみとめられない。
社会病理学の主要な基礎理論としては、社会解体論、アノミー論、社会不適応論、学習理論、統制理論、ラベリング論などがあり、社会学の他の領域と共通するものも含まれている。また、社会病理学において発達した応用理論としては、分化的接触理論(学習理論の一つ)、非行サブカルチャー論、ドリフト理論、ボンド理論(統制理論の一つ)などがある。
一方で、社会病理学には固有の研究対象や方法論がない、正常と異常の判断基準があいまいで研究者の主観が反映されやすい、といった批判が長年にわたって存在している。このような背景のもとに、1990年代以降は構築主義に依拠した社会問題研究や、実践的な問題解決を目ざす臨床社会学も活発化し、これらの領域と社会病理学の接合を図る動きもある。そのため、臨床社会学の隣接学問である社会福祉学や臨床心理学との関連性も高まる傾向がみられている。
[田中智仁]
『米川茂信著『現代社会病理学――社会問題への社会学的アプローチ』(1991・学文社)』▽『徳岡秀雄著『社会病理を考える』(1997・世界思想社)』▽『星野周弘著『社会病理学概論』(1999・学文社)』▽『高原正興著『非行と社会病理学理論』(2002・三学出版)』▽『松下武志他編著『社会病理学講座』全4巻(2003~2004・学文社)』▽『山元公平・高原正興・佐々木嬉代三編著『社会病理のリアリティ』(2006・学文社)』▽『矢島正見著『社会病理学的想像力』(2011・学文社)』