日本大百科全書(ニッポニカ) 「神保小虎」の意味・わかりやすい解説
神保小虎
じんぼことら
(1867―1924)
地質・鉱物学者。江戸の生まれ。1887年(明治20)帝国大学地質学科を卒業し、南部北上山地の地質調査を行った。のち北海道庁技師となって北海道の地質調査で成果をあげ、ドイツのベルリン大学に留学した。1894年、母校の助教授で鉱物学担当の菊池安(きくちやすし)(1862―1894)の急逝により、ただちに鉱物学の研究に方向をかえた。翌1895年帰国、母校の助教授を経て、1896年に教授となった。1907年(明治40)鉱物学教室が設置され、その主任となったが、在職中に病没した。おもな業績は『日本鉱物略記』(1899)をはじめとして、和田維四郎(わだつなしろう)の『日本鉱物誌』(1904)出版の手助け、のちにその増補改訂を滝本鐙三(たきもととうぞう)、福地信世(ふくちのぶよ)(1877―1934)とともに行い、『日本鉱物誌(再版)』(1916)を公表したことなどがあげられる。そのほか地質学関係で数多くの貴重な成果を世に出したが、とくに「北海道白亜紀層動物群の知見」は著名である。なお、1962年(昭和37)に発表された栃木県の加蘇(かそ)鉱山(閉山)が原産地のマンガンホウ酸塩新鉱物は神保石と命名されている。
[松原 聰]