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神保小虎 じんぼう ことら

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

神保小虎 じんぼう-ことら

1867-1924 明治-大正時代の地質鉱物学者。
慶応3年5月17日生まれ。神保長致(ながむね)の長男。神保格の兄。北海道庁技師となり,ベルリン大に留学。明治29年母校帝国大学の教授となる。北海道,樺太(からふと),ロシアのウラジオストク地方などの地質・地理調査をおこなった。大正13年1月18日死去。58歳。江戸出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

神保小虎

没年:大正13.1.18(1924)
生年:慶応3.5.17(1867.6.19)
明治大正時代の地質鉱物学者。江戸の出身。明治20(1887)年帝大理科大学で地質学を専攻,北海道庁に入り地質調査に従事。25年から2年間ドイツに留学し,帝大理科大助教授,次いで教授となった。鉱物学を講じ,また北海道,樺太あるいはウラジオストック地方などの地質調査を行った。東京地質学会会長,東京地学協会会長などを務め,日本の鉱物学,地質学の発展に寄与した斯学の権威であった。またアイヌ語を話しその講義をしたこともある。<著作>『北海道地質報文』上下・付録<参考文献>『日本地質学会史』

(菊池俊彦)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

神保小虎
じんぼことら
(1867―1924)

地質・鉱物学者。江戸の生まれ。1887年(明治20)帝国大学地質学科を卒業し、南部北上山地の地質調査を行った。のち北海道庁技師となって北海道の地質調査で成果をあげ、ドイツのベルリン大学に留学した。1894年、母校の助教授で鉱物学担当の菊池安(きくちやすし)(1862―1894)の急逝により、ただちに鉱物学の研究に方向をかえた。翌1895年帰国、母校の助教授を経て、1896年に教授となった。1907年(明治40)鉱物学教室が設置され、その主任となったが、在職中に病没した。おもな業績は『日本鉱物略記』(1899)をはじめとして、和田維四郎(わだつなしろう)の『日本鉱物誌』(1904)出版の手助け、のちにその増補改訂を滝本鐙三(たきもととうぞう)、福地信世(ふくちのぶよ)(1877―1934)とともに行い、『日本鉱物誌(再版)』(1916)を公表したことなどがあげられる。そのほか地質学関係で数多くの貴重な成果を世に出したが、とくに「北海道白亜紀層動物群の知見」は著名である。なお、1962年(昭和37)に発表された栃木県の加蘇(かそ)鉱山(閉山)が原産地のマンガンホウ酸塩新鉱物は神保石と命名されている。[松原 聰]

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