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和田維四郎 わだつなしろう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

和田維四郎
わだつなしろう

[生]安政3 (1856).3.17. 若狭,小浜
[没]1920.12.20.
明治・大正期の鉱物学者。東京開成学校(→開成学校ドイツ部の鉱山学校でカールシェンクに師事し,1875年から文部省金石取調所に勤務した。1877年東京大学創設に際し,理学部地質学科の教授エドムント・ナウマンのもと助教となる。

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デジタル大辞泉の解説

わだ‐つなしろう〔‐つなシラウ〕【和田維四郎】

[1856~1920]鉱物学者。福井の生まれ。ナウマンと地質調査所を建議してその初代所長となり、のち東大教授・八幡製鉄所長官なども歴任。日本産鉱物の標本を収集し、「日本鉱物誌」を著した。また、書誌学の開拓者としても知られる。

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百科事典マイペディアの解説

和田維四郎【わだつなしろう】

鉱物学者。若狭小浜の出身。初代地質調査所長,東大教授,工部省鉱山局長,八幡製鉄所長官を歴任。《金石学》(1876年)など多くの鉱物学書を著して欧米の鉱物学の導入に努め,《日本鉱物誌》(1904年)や雑誌《本邦鉱物資料》を刊行,日本の鉱物学の基礎を固めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

和田維四郎 わだ-つなしろう

1856-1920 明治-大正時代の鉱物学者。
安政3年3月15日生まれ。新設の東京大学でナウマン教授のもとで助教。地質調査所の設立により明治15年初代所長。ドイツ留学後,東京大学教授を兼任。近代的製鉄所設立につとめ,八幡製鉄所長官となる。貴族院議員。大正9年12月20日死去。65歳。若狭(わかさ)(福井県)出身。号は雲村。著作に「本邦金石略誌」「日本鉱物誌」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

和田維四郎

没年:大正9.12.20(1920)
生年:安政3.3(1856)
明治期の鉱物学者,吏僚。鉱業・製鉄業近代化の基礎をつくった。若狭国(福井県)小浜藩士の子として生まれる。明治6(1873)年,藩の貢進生として東京の開成学校で鉱物学を修め,8年文部省雇となる。地質調査の必要性を政府に説き,15年地質調査所の設置とともに初代所長。調査所はナウマン,コルシェルトら4人のドイツ人科学者を擁し,多大の業績をあげた。なかでも化学工業の重要資材としての塩に着目,自ら現地調査して『食塩改良意見』を発表,塩業政策の端緒となった。22年鉱山局長(調査所長・帝国大学教授兼務)となり鉱業条例を制定,また洋式製鉄所の建設に奔走し八幡製鉄所を設立。30年2代目長官となって大規模新鋭設備を完成させ,近代製鉄業の出発点となった。このとき予算以上の拡充工事をすすめたため懲戒免官となり,勅許によって許されたという逸話が残る。学者としては全国の鉱物を調査して『日本鉱物誌』を出し,その充実した鉱物標本は今も生野鉱山博物館(兵庫県)に展示されている。古文書の研究家,蔵書家としても知られる。『嵯峨本考』『訪書余録』などの著書がある。

(村上正祥)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

わだつなしろう【和田維四郎】

1856‐1920(安政3‐大正9)
鉱物学者。若狭国(福井県)小浜(おばま)藩士の子として生まれたが,明治維新に際し,藩からの貢進生として東京へ出,1873年(明治6)開成学校で鉱物学を学び,東京大学の新設により助教としてE.ナウマンを助け,また日本全国の地質調査を指導し,82年地質調査所が設立されると初代所長となった。東京大学教授(鉱物学),鉱山局長も兼ね,また八幡製鉄所長官にもなった。日本全国の鉱物・鉱石の近代的な調査のさきがけで,それを体系化した。

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大辞林 第三版の解説

わだつなしろう【和田維四郎】

1856~1920) 鉱物学者。若狭小浜生まれ。地質調査所所長・東大教授・八幡製鉄所長官などを歴任。地質調査を指導し、近代鉱物学の基礎を確立。著「晶形学」「日本鉱物誌」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

和田維四郎
わだつなしろう
(1856―1920)

鉱物学者。若狭(わかさ)国(福井県)小浜(おばま)の生まれ。1873年(明治6)東京開成学校に入学して鉱物学を学ぶ。1877年東京大学創設とともに、ナウマンのもとで助教を務めた。のちナウマンと地質調査所設立を建議し、1882年その初代所長となった。1883年ドイツへ留学。翌年帰国後、東京大学教授を兼任し、初めて日本人による鉱物学の講義を行った。1891年教授を辞し、鉱山局長、製鉄所(官営、後の八幡(やはた)製鉄所)長官を歴任し、1917年(大正6)貴族院議員に勅撰(ちょくせん)された。幼少のころから鉱物に興味をもち、鉱物標本の収集に努め、世界第一級のコレクションを残した。この「和田標本」は現在三菱(みつびし)マテリアルの所有となっている。1993年(平成5)に福島県郡山(こおりやま)市から発見された含塩素カルシウム‐アルミニウムのネソ珪酸(けいさん)塩鉱物が和田石wadaliteと命名された。鉱物学の業績は、『金石識別表』(1877)、『本邦金石略誌』(1878)などの著作を経て、『日本鉱物誌』(1904)で集大成された。[松原 聰]

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世界大百科事典内の和田維四郎の言及

【書誌学】より

…ソ連の書誌学の方向もだいたいドイツ的といえよう。明治・大正期に書物にも知識の深かった鉱山学者和田維四郎(つなしろう)らの先覚者をもつ日本では,昭和期になって日本書誌学会が創立され,写本・刊本ともに精密な研究がおこなわれるようになった。【寿岳 文章】。…

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