日本歴史地名大系 「神倉神社」の解説
神倉神社
かみくらじんじや
神倉山(一二〇メートル)山頂に鎮座。ごとびき岩という山上の巨巌を神体石として祀るところから、磐座信仰から発した神社と考えられる。祭神は霊を献ぜられたという。天磐盾は神倉山(県指定史跡)に比定され、この伝承から高倉下命を祀るようになったのであろう。その後、熊野信仰の繁盛に伴い、神倉山は熊野権現の降臨地とされ(「熊野権現御垂跡縁起」長寛勘文)、当社は熊野速玉大社奥院といわれ、熊野根本神蔵権現とも称された。平安朝以来神倉山を修行場とする修験の徒がごとびき岩の周辺に経塚を営み、熊野三山詣の貴紳の参詣も多かった。「平家物語」巻一〇の平維盛の熊野参詣の記事に「かんのくらをおがみ給ふに、巌松たかくそびえて、嵐妄想の夢を破り、流水きよくながれて、浪塵埃の垢をすゝぐらんとも覚えたり」とみえ、応永三四年(一四二七)一〇月二日には足利義満の側室北野殿の一行が那智から新宮に向かう途中「神の蔵」に参詣している(熊野詣日記)。
建長三年(一二五一)二月一四日に当社が焼失したとき造営費が助成されたが(「吾妻鏡」同年三月七日条)、中世の神倉社は神倉聖とよばれる社僧、その下役人の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報