神倉神社(読み)かみくらじんじや

日本歴史地名大系 「神倉神社」の解説

神倉神社
かみくらじんじや

[現在地名]新宮市新宮

神倉山(一二〇メートル)山頂に鎮座。ごとびき岩という山上の巨巌を神体石として祀るところから、磐座信仰から発した神社と考えられる。祭神天照あまてらす大神高倉下たかくらじ命。熊野速玉くまのはやたま大社(現新宮市)の摂社。「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年六月二三日条によれば、大和入りをしようとした天皇は「熊野神邑」の天磐盾あめのいわたてに登り、荒坂あらさかの津で高倉下命から神剣霊を献ぜられたという。天磐盾は神倉山(県指定史跡)に比定され、この伝承から高倉下命を祀るようになったのであろう。その後、熊野信仰繁盛に伴い、神倉山は熊野権現の降臨地とされ(「熊野権現御垂跡縁起」長寛勘文)、当社は熊野速玉大社奥院といわれ、熊野根本神蔵権現とも称された。平安朝以来神倉山を修行場とする修験の徒がごとびき岩の周辺に経塚を営み、熊野三山詣の貴紳参詣も多かった。「平家物語」巻一〇の平維盛熊野参詣の記事に「かんのくらをおがみ給ふに、巌松たかくそびえて、嵐妄想の夢を破り、流水きよくながれて、浪塵埃の垢をすゝぐらんとも覚えたり」とみえ、応永三四年(一四二七)一〇月二日には足利義満の側室北野殿の一行が那智から新宮に向かう途中「神の蔵」に参詣している(熊野詣日記)

建長三年(一二五一)二月一四日に当社が焼失したとき造営費が助成されたが(「吾妻鏡」同年三月七日条)、中世の神倉社は神倉聖とよばれる社僧、その下役人の残位によらい坊、妙心みようしん尼寺(妙心寺、現新宮市)華厳けごん院・宝積ほうしやく院・三学さんがく院の神倉本願四ヵ寺によって運営されていた(続風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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