神山茂夫【かみやましげお】
評論家。元日本共産党中央委員。山口県下関市に生まれ,台湾で育つ。1924年東京成城中学卒。1929年日本共産党に入党。翌年党の指導下にあった日本労働組合全国協議会(全協)の極左的方針に反対して全協刷新同盟を組織,分派活動との批判を受けた。1935年検挙されるが偽装転向して翌年出獄,1945年党中央委員となる。1949年党公認で衆議院議員に当選(翌年マッカーサーにより公職追放)。1954年分派活動で党除名,1958年に復党したものの,部分的核実験禁止条約に賛成して志賀義雄らとともに除名。その後,志賀らと〈日本のこえ同志会〉を結成するが,1967年に脱退し,評論活動に専念。1947年から翌年にかけて,レーニンの用いた〈軍事的封建的帝国主義〉の概念理解と,近代天皇制国家の性格規定をめぐり,志賀と論争した。80冊余の著作を残し,《神山茂夫著作集》全4巻がある。
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神山 茂夫
カミヤマ シゲオ
昭和期の社会運動家,政治家,評論家 元・日本共産党中央委員;元・衆院議員。
- 生年
- 明治38(1905)年2月1日
- 没年
- 昭和49(1974)年7月8日
- 出生地
- 山口県下関市
- 学歴〔年〕
- 成城中学卒
- 経歴
- 昭和4年日本共産党に入党。全協刷新同盟を組織し、独自の統一戦線運動を進め、検挙される。戦後、党中央委員。“軍・封帝国主義”を主張し志賀義雄らと対立した“志賀・神山論争”は有名。24年衆院議員に東京五区から立候補し当選。25年公職追放。のち党を除名され、文筆活動に入る。著書に「天皇制に関する理論的諸問題」「自主独立路線の正体」「除名をかけた私の直言」のほか「神山茂夫著作集」(全4巻 三一書房)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
神山 茂夫
カミヤマ シゲオ
- 肩書
- 元・日本共産党中央委員,元・衆院議員
- 生年月日
- 明治38年2月1日
- 出生地
- 山口県下関市
- 学歴
- 成城中学卒
- 経歴
- 昭和4年日本共産党に入党。全協刷新同盟を組織し、独自の統一戦線運動を進め、検挙される。戦後、党中央委員。“軍・封帝国主義”を主張し志賀義雄らと対立した“志賀・神山論争”は有名。24年衆院議員に東京五区から立候補し当選。25年公職追放。のち党を除名され、文筆活動に入る。著書に「天皇制に関する理論的諸問題」「自主独立路線の正体」「除名をかけた私の直言」のほか「神山茂夫著作集」(全4巻 三一書房)がある。
- 没年月日
- 昭和49年7月8日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
神山茂夫
かみやましげお
(1905―1974)
社会運動家。山口県下関(しものせき)市生まれ。苦学をしつつ革命運動を志す。1929年(昭和4)日本共産党入党。30年全協刷新同盟を結成。35年検挙。翌年偽装転向で出獄し、運動を再開。41年再検挙され、敗戦後、占領軍による政治犯釈放で出獄。共産党中央委員などを務め、49年(昭和24)衆議院議員初当選。翌年マッカーサーにより公職追放。その後、党の方針と対立し、除名と入党を繰り返したが、64年部分核停条約を支持して除名された。戦前天皇制国家の性格をめぐる志賀義雄(よしお)との論争は有名である。著書に『天皇制に関する理論的諸問題』などがある。
[小田部雄次]
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神山茂夫 かみやま-しげお
1905-1974 昭和時代の社会運動家。
明治38年2月1日生まれ。昭和4年共産党に入党。翌年全協刷新同盟を組織。10年検挙,16年再検挙され,戦後に釈放。20年党中央委員をつとめたが,39年除名され,「日本のこえ」を結成。戦前の天皇制国家の性格をめぐる「志賀・神山論争」で知られる。昭和49年7月8日死去。69歳。山口県出身。成城中学卒。著作に「天皇制に関する理論的諸問題」など。
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神山 茂夫 (かみやま しげお)
生年月日:1905年2月1日
昭和時代の社会運動家;政治家。日本共産党中央委員;衆議院議員
1974年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報