日本歴史地名大系 「神崎・神崎宿」の解説
神崎・神崎宿
かんざき・かんざきのしゆく
〔古代〕
「摂津国風土記」逸文(万葉集註釈)に、神功皇后が三韓出兵のため筑紫に赴こうとしたとき、「川辺の郡の内の神前の松原」に神々を集め祀ってその加護を願ったとあり、「住吉大社神代記」には「神前審神浜」の四至を「限東江尻、南限川、限西為奈河、限北公田」とし、熊襲二国を討伏せんとしたとき、神々の集まることを祈ってこの浜を住吉神に寄進したとある。一般にこれらの「神前」を神崎と同一とみているが、「住吉大社神代記」の神前審神浜は猪名川の東岸にあったように記している。天平勝宝八歳(七五六)一二月一七日の摂津国河辺郡猪名所地図写(尼崎市教育委員会蔵)には、神崎付近は深く湾入した大阪湾の入江として描かれ、下流域は未だ形成されていなかったことがうかがえる。承暦三年(一〇七九)三月一〇日の某庄立券文案(壬生家文書)には「浜河流末湖辺生地之空閑年久間」とあり、河流の末の湖沼の周辺に広がる空閑地に位置する。某庄の立券に際して
永承三年(一〇四八)一〇月一一日紀伊高野山への参詣に向かう関白藤原頼通の一行に、「江口
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報