日本歴史地名大系 「福島城跡」の解説
福島城跡
ふくしまじようあと
阿武隈川と
〔中世〕
応永二〇年(一四一三)一二月二九日の足利持氏軍勢催促状(有造館本結城古文書写)に「大仏城」とみえ、関東公方足利持氏は同月二一日に当城から退いた伊達松犬丸(持宗)と懸田播磨入道(定勝)らを攻めるよう白河三河七郎に督促している。持宗は同年四月一八日に挙兵して大仏城に立籠ったため、畠山国詮らが討手として派遣され、一二月二一日兵糧が尽きて落城した(喜連川判鑑)。なお「底倉之記」によれば、応永三年小山若犬丸が挙兵した際に当城に田村庄司(清包)と大館弥三郎(氏忠)が立籠ったという。
天文四年(一五三五)の棟役日記(伊達家文書)は
福島城跡
ふくしまじようあと
福島築城は
徳川家康は慶長八年江戸幕府を開いた。
福島城跡
ふくしまじようあと
福島城跡
ふくしまじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報