日本大百科全書(ニッポニカ) 「山川イズム」の意味・わかりやすい解説
山川イズム
やまかわいずむ
1922年(大正11)から26年にかけて社会主義者山川均(ひとし)によって提起された、社会主義運動と労働運動との結び付きに関する一つの理論的立場。彼は22年日本共産党に加わり、上田茂樹らとともに雑誌『前衛』を創刊した。山川イズムの原型は、彼が同誌(1922年7・8月合併号)に書いた「無産階級運動の方向転換」という論文のなかに示されている。彼の立場は、日本では階級意識に目覚めた少数の社会主義者が、本隊である労働者階級と大衆から離れて独走したことを反省したうえで、社会主義者が純化した思想をもって大衆のなかへ引き返すことを目ざしたものであるが、この主張が前衛党の独自の役割の否定につながるとして批判されるに至る。日本共産党の「二七年テーゼ」は、福本和夫(かずお)の福本イズムを左翼日和見(ひよりみ)主義として批判するとともに、山川イズムを右翼日和見主義として批判していった。山川は自論を固持して共産党から離れ、27年(昭和2)猪俣津南雄(いのまたつなお)らとともに雑誌『労農』を創刊し、いわゆる「労農派」として活躍するが、山川イズムは、その後労農派に受け継がれていく。
[河村 望]
『石堂清倫・山辺健太郎編訳『コミンテルン 日本に関するテーゼ集』(青木文庫)』