昭和期の社会思想家 元・日本共産党中央委員政治部長。
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マルクス主義理論家。鳥取県生まれ。第一高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科に入学。1920年(大正9)卒業。1922年文部省在外研究員としてドイツ、フランスに留学、マルクス主義研究に専念した。1924年に帰国、雑誌『マルクス主義』にその成果を次々と発表して注目を集め、1926年には山川均(ひとし)の唱える共産主義運動の指導理論を批判した。福本は、労働者の自然発生的な階級意識の成長を重視する山川イズムを組合主義・折衷主義と批判し、革命的分子の階級意識を外部から注入しなければならないとした。とくに「結合の前の分離」という組織論にたって理論闘争の必要を訴えた福本イズムは、解党状況の下で前衛党の建設と明確な理論を求めた知識人や学生を魅了し、一世を風靡(ふうび)した。しかし、この理論は組合運動を軽視しただけでなく、組合運動の分裂を激化させ、二七年テーゼで批判されて失墜した。福本は1928年(昭和3)三・一五事件で検挙され1942年まで14年間入獄した。獄中で「日本ルネッサンス史論」を着想し、出獄後は江戸文化など文化史の研究と農業問題の研究に専念した。また晩年はフクロウの研究で知られた。
[北河賢三]
『福本和夫著『革命運動裸像』(1962・三一書房)』
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…山川イズムに代わって日本共産党を支配した理論。ドイツ帰りの福本和夫(筆名北条一雄)は,1924年末以来雑誌《マルクス主義》を中心に活躍し,26年2,5月号に発表した《山川氏の方向転換論の転換より始めざるべからず》は,左翼陣営に大きな影響を与えた。福本は山川イズムを経済運動と政治運動との相違を明確にしない〈折衷主義〉であり,〈組合主義〉であると批判し,運動を政治闘争に発展させるためには,理論闘争によって,労働者の外部からマルクス主義意識を注入することの必要を説いた。…
…しかし,マルクスの思想が本格的に紹介されるようになったのはロシア革命(1917)以後であり,22年には〈日本共産党〉(委員長堺利彦)が結成され,コミンテルン第4回大会において承認された。 昭和に入ると,福本和夫,三木清,河上肇などによるマルクス論が左翼的インテリのあいだで強い影響を及ぼすようになり,28年(昭和3)には世界で最初の改造社版《マルクス・エンゲルス全集》の刊行が開始された(全27巻30冊,補巻1,別巻1。完結1935)。…
…やがて普選運動が高まり,また学生の間にマルクス主義が広がるなかで,関東大震災の混乱や政府の弾圧の強化などの情勢に対応して,山川らは日本共産党を解党して合法的単一無産政党を結成しようとした。これに対して,第1次大戦後のワイマール・ドイツでK.コルシュらにマルクス主義を学んで帰国した福本和夫は,雑誌《マルクス主義》(1924創刊)に《経済学批判におけるマルクス《資本論》の範囲を論ず》などの一連の論文を発表し,マルクスの唯物弁証法的方法により資本主義社会の現実の運動法則を明らかにするとともに,〈分離・結合〉論を展開して山川の〈方向転換〉を批判し,先鋭な前衛党による理論闘争と政治闘争の必要を説いた。それは,これまでのマルクス主義理解を飛躍的に高めるものとして影響を広げる一方,〈山川イズム〉と〈福本イズム〉の対立として労農運動の組織をはじめプロレタリア文芸連盟などの諸組織の分裂を結果した。…
※「福本和夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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