朝日日本歴史人物事典 「秋元喬知」の解説
秋元喬知
生年:慶安2(1649)
江戸前期の大名。戸田忠昌の長男。明暦3(1657)年10月遺領を襲い,甲斐国(山梨県)谷村藩1万8000石の藩主となる。雁の間詰め。延宝5(1677)年7月奏者番となり,以後寺社奉行兼帯(1681年),若年寄(1682年10月)を経て元禄12(1699)年10月から宝永4(1707)年8月まで老中として5代将軍徳川綱吉の治世を助けた。所領は元禄4年,7年,13年と度々加増され,宝永1年12月には1万石加増のうえ,武蔵国川越(埼玉県)へ転封(5万石),正徳1(1711)年12月1万石加増され,計6万石を領した。谷村藩時代,治水,殖産策に力を注ぎ,郡内織を盛んにするなど,秋元家中興の英主といわれる。その反面,収奪強化策を展開したため,寛文6(1666)年以降,減租を求める領民の嘆願が続き,天和1(1681)年に至り一揆が起こっている。川越藩時代も殖産策を展開,絹織物,川越斜子,川越平の生産発展にみるべきものがあった。
(泉正人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報