日本大百科全書(ニッポニカ) 「移行論争」の意味・わかりやすい解説
移行論争
いこうろんそう
封建制から資本主義への移行に関するいくつかの基本的な論点をめぐって、国際的な規模で展開された論争。出発点になったのは、M・ドッブの『資本主義発展の研究』Studies in the Development of Capitalism(1946)と、それに対するP・スウィージーの批判であり、まもなく、日本の高橋幸八郎(こうはちろう)がさらに論点を明確にしながらこの論争に参加し、続いて、西欧・東欧諸国の歴史家からの積極的な参加があり、今日でもなお多くの論議が重ねられている。
1950年代末までの論争における主要な論点は、封建制および資本主義という概念をどのように規定するか、封建制を解体させ資本主義を形成してゆく起動力をどこに求めるか、移行期(いわゆる過渡期)の歴史的性格をどう理解するか、資本主義への移行の「二つの道」の対立を認めるかどうか、移行過程におけるブルジョア革命の意義をどう考えるか、など、多岐にわたっていた。だが、この時期の論争のもっとも重要な論点は、封建制を解体させる起動力が外来的なものであるのかそれとも内部的なものであるのか、という点であった。すなわち、従来の通説が封建制の解体と資本主義の形成をもっぱら外来的な商人による市場のための生産の組織化(いわゆる商業資本の産業資本への転化)に求めており、スウィージーもその立場にたっているのに対して、ドッブおよびとくに高橋は、封建制の解体と資本主義の形成の歴史的起点が、外部からの商業の作用にあるのではなくて封建社会の内部での独立自営農民層(小商品生産者)の成立と同時にその両極分解による資本・賃労働関係の形成にある、と主張した。高橋の見解は、通説に対する鋭い批判として大きな反響をよび、フランスのA・ソブールAlbert Soboul(1914―1982)などをはじめとしてこれに賛意を表するものが少なくなかった。高橋の見解の背後には、日本における戦前からの日本資本主義論争の成果と大塚久雄による欧州経済史研究の成果とがあり、この移行論争は、日本の社会科学の水準の高さを世界の学界に示したものであるといえる。
1960年代以降になると、移行論争は、一方で世界史的規模にまで視野が広げられるとともに、他方で個々の論点についての議論が深められるようになった。E・J・ホブズボームは、資本主義への移行が世界の限られた一部分でしか実現されなかったことを重視し、西欧における資本主義の成立が実は新大陸やアジア、アフリカからの収奪を基礎にしており、資本主義の勝利と低開発地域の創出とが同じ過程の両面であることを力説し、移行論争を世界史的規模で再検討することを要請した。他方、移行過程における階級闘争の意義を重視するR・ブレンナーRobert Paul Brenner(1943― )の論文をめぐる国際的論争、封建制の廃止に関する国際討議、「原基的工業化」をめぐる国際討議など、移行論争の個々の論点についての論議は現在もなおしだいに深められつつある。
[遅塚忠躬]
『M・ドッブ著、京大近代史研究会訳『資本主義発展の研究』全2巻(1954、1955・岩波書店)』▽『高橋幸八郎著『市民革命の構造』増補版(1966・御茶の水書房)』▽『R・ヒルトン編、大阪経済法科大学経済研究所訳『封建制から資本主義への移行』(1982・柘植書房)』▽『高橋幸八郎著『近代化の比較史的研究』(1983・岩波書店)』▽『The Transition from Feudalism to Capitalism, A Symposium by P. M. Sweezy, M. Dobb, H. K. Takahashi, R. Hilton, Ch. Hill (1954, Arena Publication, London)』▽『H. K. TakahashiDu féodalisme au capitalisme, Problémes de la transition (1982, Société des Etudes Robespierristes, Paris)』