稲城市(読み)イナギシ

デジタル大辞泉 「稲城市」の意味・読み・例文・類語

いなぎ‐し【稲城市】

稲城

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「稲城市」の解説

稲城市
いなぎし

面積:一七・九七平方キロ

多摩地区の南にある。ほぼ東流する多摩川中流南岸に位置し、おおよそ市の北側半分が多摩川の氾濫原、南側半分と西側が多摩丘陵からなっている。丘陵地の最高標高は一六〇メートル余、多摩川河畔の最低標高は三五メートルほどである。多摩川を挟んで北は府中市と調布市、東は神奈川県川崎市多摩区、南は同市麻生あさお区、西は多摩市に接する。市域の北側を東西に川崎街道(八王子道)が通り、一方多摩川を越えて市の北東から南西に抜ける形で鶴川つるかわ街道(江戸道)が走り、この二つの街道に並行するように、それぞれJR南武線と京王相模原線が通る。JR南武線には矢野口やのくち稲城長沼いなぎながぬま南多摩の三駅が、京王相模原線には京王けいおうよみうりランド・稲城の二駅が設けられている。また貨物専用のJR武蔵野貨物線も走っている。市内を流れる河川としては、坂浜さかはまと接する麻生区黒川くろかわとの境辺りを源流とし、市域を南西から北東に流れる三沢みさわ川や、北部を多摩川に流れ落ちる谷戸やと川などがある。

〔原始・古代〕

市域の三分の二を占める多摩丘陵のなかに原始・古代の遺跡が分布している。旧石器時代では一四ヵ所の遺跡から後期の石器が採集されている。縄文時代は中期の遺跡が中心である。坂浜の丘陵頂部につくられた環状集落遺跡である多摩ニュータウンNo.471遺跡、同じく坂浜にある勝坂期から加曾利E期の集落遺跡で、住居跡八六軒が発見され、出土した土偶九一個体が都の文化財に指定された多摩ニュータウンNo.9遺跡、中期から後期にかけての集落遺跡である平尾ひらお遺跡、平尾台原ひらおだいはら遺跡などがある。弥生時代の遺跡は少ないが、平尾台原遺跡からは弥生中期と後期の集落が確認されており、後期末の方形周溝墓五基も発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「稲城市」の意味・わかりやすい解説

稲城〔市〕
いなぎ

東京都中南部,多摩川の右岸にある市。南は神奈川県川崎市に接する。 1957年町制,71年市制施行。第2次世界大戦中,北西部の台地上に軍関係の施設があったため,戦後まで農村的機能を維持した地域である。多摩川の沖積地では,ナシが栽培されている。川崎と立川を結ぶ JR南武線が通じるが,都心への交通機関には恵まれなかった。 74年京王帝都電鉄相模原線が延長されて,都心と直結する道が開かれ,丘陵地や耕地の宅地化が急速に進展隣接の八王子市,多摩市とともに多摩ニュータウンを形成。面積 17.97km2。人口 9万3151(2020)。

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