東京都中南部、多摩川中流南岸の低地から多摩丘陵にまたがる市。1971年(昭和46)南多摩郡稲城町が市制施行して成立し、これによって南多摩郡は消滅した。JR南武線、京王電鉄相模原(さがみはら)線が通じる。北部は多摩川の氾濫原(はんらんげん)で、古くから稲作農業地帯であったこと、また中世に稲毛郷の一部だったことが地名の由来といわれる。相模国と武蔵(むさし)府中(東京都府中市)を結ぶ川崎街道沿いにあり、矢野口(やのくち)は新田義興(にったよしおき)が殺された矢口ノ渡(わたし)であったと伝えられる。低地は多摩川ナシの産地で知られ、ブドウも栽培される。市域の大半は多摩丘陵にある。日中戦争から第二次世界大戦にかけて東京第二陸軍造兵廠(しょう)火工廠多摩火薬製造所が設立、拡充され、戦後はアメリカ軍の多摩弾薬庫となり、現在はアメリカ軍のレクリエーション施設となっている。市域には多くのゴルフ場がつくられたが、西に接する多摩市に続く多摩ニュータウンの一部として1970年代から住宅地開発が進められている。1988年向陽台地区が入居開始、1995年(平成7)長峰地区が入居開始された。1960~1980年代に製造業が進出、電気機器などの工業が立地している。石仏が安置された弁天洞窟(べんてんどうくつ)がある。レジャーランドの「よみうりランド」は大部分が川崎市域であるが、本社は稲城市にあり、川崎市側の敷地の一部が稲城市の飛地となっている。京王よみうりランド駅からゴンドラが通じている。面積17.97平方キロメートル、人口9万3151(2020)。
[沢田 清]
『『稲城市郷土資料集1~4』(1974~1976・稲城市役所)』▽『『稲城市史』(1991・稲城市)』
東京都南西部,多摩川南岸の都市。西は多摩市,南東は川崎市,北は多摩川を隔てて府中市,調布市と接する。1971年市制。人口8万4835(2010)。多摩川沿いの低地とゆるやかな丘陵とからなる。第2次世界大戦前は静かな農村で,低地は水田のほかに元禄年間(1688-1704)から梨栽培も行われ,現在も観光梨園を中心に梨畑がある。丘陵部には1941年,陸軍火工厰が設けられ,戦後はアメリカ軍の施設として接収されたこともあって,開発が遅れている。多摩川原橋,是政橋で対岸と結ばれ,市内多摩川沿いをJR南武線が走るほか,74年に多摩センター駅まで開通した京王相模原線が丘陵部を通過,駅も設けられたため,都心との時間距離が短縮され,住宅地化が進んでいる。丘陵部の約380haは多摩ニュータウン開発地区に編入され,住宅地開発が進められている。
執筆者:井内 昇
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