竹本 綾之助(初代)
タケモト アヤノスケ
- 職業
- 女義太夫節太夫
- 専門
- 義太夫節
- 本名
- 石井 園
- 別名
- 前名=竹本 玉之助
- 生年月日
- 明治8年 6月10日
- 出生地
- 大阪府 大阪市南畳屋町
- 経歴
- 明治、大正期の女義太夫節の太夫。明治19年上京、初舞台は竹本玉之助の名で「弁慶上使」。21年師匠竹本綾瀬太夫(5代目竹本土佐太夫)の一字をもらって竹本綾之助を名乗った。美貌と美声で圧倒的人気を得、“八丁荒し”といわれ娘義太夫の全盛時代を招いた。31年24歳の時一たん引退したが、41年に復帰し、神田立花亭で「伽羅先代萩」を語って人気を再現、大正14年ごろまで華やかな舞台をつとめた。新曲の作曲も手がけ、「かちかち山」「日高川」などの作品がある。
- 没年月日
- 昭和17年 1月31日 (1942年)
- 伝記
- 新編 近代美人伝〈上〉 長谷川 時雨 著,杉本 苑子 編(発行元 岩波書店 ’93発行)
竹本 綾之助(2代目)
タケモト アヤノスケ
- 職業
- 女義太夫節太夫
- 専門
- 義太夫節
- 本名
- 石井 かね
- 別名
- 前名=竹本 金菊,竹本 佳照
- 生年月日
- 明治18年 1月23日
- 出生地
- 鳥取県
- 経歴
- 11歳の時、豊沢新次郎の門に入り、15歳で竹本金菊を名乗って大阪播重に出演した。上京後、明治31年に一たん引退した初代竹本綾之助の後を継いで、36年2代目を名乗ったが、38年24歳で結婚し、名跡を返した。その後48歳で復帰した時、初代も再演していたので、佳照の名で義太夫を演じ、昭和17年初代の死後、再び2代を襲名した。25年竹本素女らと女流義太夫連盟を設立、女義太夫復興に貢献、全盛時代をつくった。
- 没年月日
- 昭和34年 11月24日 (1959年)
竹本 綾之助(3代目)
タケモト アヤノスケ
- 職業
- 女義太夫節太夫
- 専門
- 義太夫節
- 本名
- 大沢 ハツヱ
- 別名
- 前名=竹本 綾枝
- 生年月日
- 明治41年 2月25日
- 出生地
- 東京
- 経歴
- 大正9年初代竹本綾之助に入門し、竹本綾枝を名乗って初舞台。昭和37年3代目綾之助を襲名。情味のある語り口で「新口村」「忠七」の由良助などを得意とした。
- 所属団体
- 義太夫協会(常務理事)
- 没年月日
- 平成4年 4月13日 (1992年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
竹本 綾之助(1代目)
タケモト アヤノスケ
明治・大正期の女義太夫節太夫
- 生年
- 明治8年6月10日(1875年)
- 没年
- 昭和17(1942)年1月31日
- 出生地
- 大阪府大阪市南畳屋町
- 本名
- 石井 園
- 別名
- 前名=竹本 玉之助
- 経歴
- 明治、大正期の女義太夫節の太夫。明治19年上京、初舞台は竹本玉之助の名で「弁慶上使」。21年師匠竹本綾瀬太夫(5代目竹本土佐太夫)の一字をもらって竹本綾之助を名乗った。美貌と美声で圧倒的人気を得、“八丁荒し”といわれ娘義太夫の全盛時代を招いた。31年24歳の時一たん引退したが、41年に復帰し、神田立花亭で「伽羅先代萩」を語って人気を再現、大正14年ごろまで華やかな舞台を務めた。新曲の作曲も手がけ、「かちかち山」「日高川」などの作品がある。
竹本 綾之助(2代目)
タケモト アヤノスケ
明治〜昭和期の女義太夫節太夫
- 生年
- 明治18(1885)年1月23日
- 没年
- 昭和34(1959)年11月24日
- 出生地
- 鳥取県
- 本名
- 石井 かね
- 別名
- 前名=竹本 金菊,竹本 佳照
- 経歴
- 11歳の時、豊沢新次郎の門に入り、15歳で竹本金菊を名乗って大阪播重に出演した。上京後、明治31年に一時引退した初代竹本綾之助の後を継いで、36年2代目を名乗ったが、38年24歳で結婚し、名跡を返した。その後48歳で復帰した時、初代も再演していたので、佳照の名で義太夫を演じ、昭和17年初代の死後、再び2代を襲名した。25年竹本素女らと女流義太夫連盟を設立、女義太夫復興に貢献、全盛時代をつくった。
竹本 綾之助(3代目)
タケモト アヤノスケ
昭和期の女義太夫節太夫
- 生年
- 明治41(1908)年2月25日
- 没年
- 平成4(1992)年4月13日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 大沢 ハツヱ
- 別名
- 前名=竹本 綾枝
- 経歴
- 大正9年初代竹本綾之助に入門し、竹本綾枝を名のって初舞台。昭和37年3代目綾之助を襲名。情味のある語り口で「新口村」「忠七」の由良助などを得意とした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
竹本綾之助(初代)
没年:昭和17.1.31(1942)
生年:明治8.6.10(1875)
明治時代,東京に娘義太夫全盛期をもたらした中心的太夫。本名石山薗。大阪生まれ。幼少より義太夫三味線を弾く養母勝に芸を仕込まれ,明治18(1885)年ごろ上京して浅草の寄席に男装で出演し,花形となる。同じ年に竹本綾瀬太夫(5代目竹本土佐太夫)に入門し,綾之助の名を得て,19年(20年とも),両国で真打ちの看板をあげ,以後東京で活躍。端麗な容貌と美声で熱狂的な男子学生ファン堂摺連に追いかけられ,事実無根の醜聞を書きたてられるなど,現代のアイドル歌手のごとき人気を誇った。実際は親孝行で品行方正であったという。31年に結婚のため引退。41年に復帰したが往時の勢いはなく,大正14(1925)年,完全に引退した。<参考文献>埠迪子「竹本綾之助」(『近代日本の女性史』5巻)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
竹本綾之助
たけもとあやのすけ
(1875―1942)
女義太夫(おんなぎだゆう)の太夫。大阪生まれ。本名石井園(その)。10歳で東京・文楽(ぶんらく)座に玉之助(たまのすけ)の名で出演。稚児髷(ちごまげ)に振袖(ふりそで)姿の愛くるしい容姿と達者な語り口で満都の人気を集めた。初世竹本綾瀬太夫に師事すると同時に綾之助と改名、女義太夫全盛時代のスターであった。1898年(明治31)貿易商の石井健太と結婚、いったん引退したが、1908年(明治41)にカムバック。10年女義太夫再検討を図って藤菱(ふじびし)会を組織したが、27年(昭和2)秋をもって演奏活動を中止した。
[土岐迪子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
竹本綾之助(2代) たけもと-あやのすけ
1885-1959 明治-昭和時代の女義太夫の太夫。
明治18年1月23日生まれ。はじめ豊沢新次郎に師事して竹本金菊と名のる。明治36年2代をつぐ。一時引退したが昭和17年ふたたび襲名。女流義太夫連盟を設立して女義太夫の振興につとめた。昭和34年11月24日死去。74歳。鳥取県出身。本名は石井かね。
竹本綾之助(初代) たけもと-あやのすけ
1875-1942 明治-大正時代の女義太夫の太夫。
明治8年6月10日生まれ。11歳のころ上京して初代竹本綾瀬太夫に入門。美貌と美声で「八丁荒らし」といわれ圧倒的な人気を博し,女義太夫の全盛時代をきずいた。昭和17年1月31日死去。68歳。大阪出身。本名は石井園。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
竹本綾之助(1世)
たけもとあやのすけ[いっせい]
[生]1875
[没]1942
女義太夫の太夫。 11歳から東京の寄席に出,美声と美貌で一世を風靡し,娘義太夫の全盛期を現出した。最盛期は明治 20年代,1898年引退,10年後再勤,大正末期までつとめる。
竹本綾之助(3世)
たけもとあやのすけ[さんせい]
[生]1908.2.25. 東京
[没]1992.4.13. 東京
女義太夫の太夫。本名大沢ハツエ。1世綾之助に師事。 1962年3世綾之助を襲名。品格と情味ある語り口で「新口村」「忠七」などを得意とした。
竹本綾之助(2世)
たけもとあやのすけ[にせい]
[生]1885
[没]1960
女義太夫の太夫。竹本金菊から2世綾之助,佳照,再び2世綾之助と改名。大阪播重席に出ていたが,19歳で上京。第2次世界大戦後は長老的存在として,女義太夫の復興に尽力した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
竹本 綾之助(初代) (たけもと あやのすけ)
生年月日:1875年6月10日
明治時代;大正時代の義太夫節女流太夫
1942年没
竹本 綾之助(2代目) (たけもと あやのすけ)
生年月日:1885年1月23日
明治時代-昭和時代の女義太夫
1959年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の竹本綾之助の言及
【女義太夫】より
…明治の東京では素(す)浄瑠璃の形式で大流行するが,その基礎を作ったのは,82年に名古屋から再度上京した竹本京枝と,大阪で盛名をはせていた竹本東玉の東上(1885)である。やがて竹本綾之助や竹本住之助らの出現で女義太夫の隆盛を迎え,青壮年層を魅了し,客席からひいきの女義太夫に〈どうする,どうする〉と口拍子をかける熱狂的ファン・グループの〈どうする連〉を輩出させる。そのため1900年には風紀紊乱で社会問題化するが,豊竹呂昇(ろしよう)(1924引退)の活躍を最後に衰退した。…
※「竹本綾之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」