日本歴史地名大系 「笠間城下」の解説
笠間城下
かさまじようか
〔町の形成〕
笠間城の山城は鎌倉時代前期に築かれたと伝えられるが(笠間城記)、きわだった町の形成はなかった。天正一八年(一五九〇)小田原戦役で北条方に味方した笠間氏は宗家宇都宮氏に滅ぼされ、宇都宮氏の家臣玉生忠勝が城主となり、文禄三年(一五九四)城下町の建設に取りかかった。隣村の
慶長七年藩主松平康重の時、水戸の佐竹氏家臣車丹波が佐竹氏秋田転封に絡んで反抗したが、笠間町人は鎮撫に功があったので、町地代持高諸役を免除する次の免許状(「笠間町石井村上市毛村古事取調記」牧野家文書)が出された。免許状はのち代々の藩主に確認され、証文も出された。
慶長一八年藩主松平康長の時に高橋町の西に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報