そろばんを使って行う計算のこと。珠算(たまざん)ともいう。珠算という文字が初めて出てくるのは2世紀終わりの中国、漢の時代の終わりごろで、徐岳(じょがく)の『数術記遺(すうじゅつきい)』に14種の計算法の一つとして掲げられている。本文は「珠算 控帯四時経緯三才」とあるだけで、その構造を知ることはできないが、南北朝の時代に北周の甄鸞(けんらん)(6世紀中ごろ)が注を加えており、それを現代的に解釈すると、五玉を1個、一玉を4個使って数を表示するそろばんが使われていたことが知れる。しかも五玉と一玉とは色で区別されており、梁(はり)(五玉と一玉とを区別する横の桟)はなかったようである。
珠算は、籌(ちゅう)または策(さく)(日本では算木(さんぎ)とよばれた)による計算法をそのまま引き継いで発展したが、その時期は14世紀以後のことであったらしい。籌と珠算の計算法を述べた本に呉敬(ごけい)の『九章算法比類大全(きゅうしょうさんぽうひるいたいぜん)』(1450)がある。程大位(ていたいい)の『算法統宗(さんぽうとうそう)』(1592)などの中国の本が日本の珠算に大きな影響を及ぼした。日本で現存しているもっとも古い算術書は『算用記(さんようき)』(刊行年未詳)で、その数年後に毛利重能(もうりしげよし)が『割算書(わりざんしょ)』(1622)を刊行し、二一添作五(にいちてんさくのご)などの割り声(ごえ)を紹介している。日本では1桁(ひとけた)の割り算を八算(はっさん)、2桁以上を見一(けんいち)または見一無頭算(けんいちむとうざん)とよんでいる(総称して帰除法という)ことはロドリゲスの『日本大文典』(1604~1609)でも知れるから、計算方法の伝来も和算書刊行以前であることは明らかである。吉田光由(よしだみつよし)の『塵劫記(じんごうき)』(1627)では、八算、見一を図解入りで説明したのち実務計算に入ったので当時のベストセラーとなり、こののちは、この本の体裁に倣って珠算書が続々と刊行され、珠算は急速に普及し、明治の初めに洋算が普及されるまで庶民の唯一の計算法であった。1872年(明治5)の学制発布のときには小学校の教科に加えられなかったが、当時の社会の実情にあわなかったので翌年に洋算と併用を認められた。その後いろいろと紆余曲折(うよきょくせつ)はあったが1938年(昭和13)から、尋常小学校で4年生から筆算・暗算とともに必須(ひっす)科目として学ばれた。戦後はおもに加法と減法だけが小学校で指導されている。近代社会になって、珠算の発展に大きく寄与したのは検定試験で、1928年東京市で初めて施行された。いまでは珠算団体が競技会とともに実施している。
[鈴木久男]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…中国では紀元前にすでに珠を使う計算法があったらしい。漢の徐岳が2世紀ころ撰し,北周の甄鸞(しんらん)が6世紀ころ注を入れた《数術記遺》に〈珠算〉の語がある。板を刻んで三つの部分とし,上部と下部に遊び珠を置く。…
※「珠算」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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