山城物(読み)ヤマシロモノ

デジタル大辞泉 「山城物」の意味・読み・例文・類語

やましろ‐もの【山城物】

山城刀工が鍛えた刀の総称三条粟田口あわたぐちらいなどの流派有名京物

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精選版 日本国語大辞典 「山城物」の意味・読み・例文・類語

やましろ‐もの【山城物】

  1. 〘 名詞 〙 慶長(一五九六‐一六一五)以後、京都に住んだ刀鍛冶の総称。また、その刀鍛冶の作った新刀。京物。それ以前のものは古京物と呼ばれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「山城物」の意味・わかりやすい解説

山城物 (やましろもの)

山城国在住の刀鍛冶が作った刀剣の総称。京物ともいう。山城国は鉄をまったく産出しないが,平安時代以来,文化の中心地として刀鍛冶が多く活躍し,大和,備前,相州,美濃とともに刀剣の五大生産地の一つとなっている。山城鍛冶の繁栄は平安中期から江戸初期までの長期にわたるが,永延(987-989)のころ三条に住した三条宗近が最も古く,ついで一門の三条吉家,五条兼永,五条国永ら古京物と称される一派がおこった。鎌倉初期には《宇治拾遺物語》にも〈粟田口の鍛冶〉とあるように,粟田口派があらわれて名工輩出し,とくに国友,久国,国安の兄弟は後鳥羽上皇の番鍛冶に選ばれている。さらに建長(1249-56)ころの国綱は北条時頼の招きにより鎌倉で作刀し,相州鍛冶(相州物)の基を築いたと伝え,末期の吉光短刀の名手として名高い。一方,同じころ四条大路には定利,定吉ら綾小路派がおり,中期から南北朝時代にかけては国行を祖とする来(らい)派が栄えた。来派は一説に先祖が高麗からの帰化人といい,銘に来国俊,来国光,来国次,来倫国,来国長など〈来〉の字を冠するものが多い。山城物の中で最も繁栄したのがこの来派で,他国への影響力も大きく,来国長は摂津中島へ移り,来国俊の門人国村は肥後の地に延寿派を開き,また来国俊の子了戒の末葉は筑紫の地に移住し,それぞれ地方鍛冶の祖となっている。南北朝時代には了戒の系統をひく信国派と本国を大和という長谷部派がつづき,その初代信国と初代長谷部国重は,それぞれ相州貞宗,相州正宗の門人と伝え,ともに相州物の影響を強く受けた作を残している。室町中期以降は長い戦乱のためか,洛中に三条吉則,三条長吉,洛外の鞍馬派や達磨派などが知られる程度である。これら江戸時代以前の山城物の作風は時代の好み,戦闘形態などによって変化するが,概して均整がとれ,鍛(きたえ)は小板目がつんで地沸(じにえ)が細かにつき,刃文は小沸出来の直刃(すぐは)を基調とするなどが特徴としてあげられる。

 江戸時代に入ると山城鍛冶も再び活況を呈し,西陣に埋忠明寿(うめただみようじゆ)が出た。埋忠家は元来,刀の磨上げ,拵(こしらえ)・金具の製作を家業としていたが,明寿は作刀にも長じ,それまでの古刀期にはなかった濃厚な彫物を施した装飾豊かな作風を展開し,新刀の祖といわれている。これとは別に,地方からの移住者も多く,一条堀川には日向出身の国広が,西洞院には美濃出身の伊賀守金道,丹波守吉道,越中守正俊兄弟ら三品派がいて,それぞれ一派を開いた。国広一門は二十数名の刀工を擁し,初期新刀最大の派を形成し,金道の後代は日本鍛冶惣匠を名乗り,刀鍛冶の受領銘授与に関して朝廷との仲介役を務め,権力をもった。この両派以後,山城鍛冶は世の泰平と京に武士が少なかったため,大坂や江戸に移住し,しだいに衰微していった。
日本刀
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山城物」の意味・わかりやすい解説

山城物
やましろもの

山城国(京都府)で制作された刀剣の総称。京物ともいう。当地では鉄の産出をみないが、平安時代以降文化の中心地として多くの刀工が活躍し、大和(やまと)(奈良県)、備前(びぜん)(岡山県)、相州(神奈川県)、美濃(みの)(岐阜県)とともに五大生産地の一つとして栄え、江戸初期にわたる。永延(えいえん)(987~989)ごろ三条に住した宗近(むねちか)(三条宗近)の有銘作があり、彼は多くの弟子をもって一派をなした。鎌倉初期には粟田口(あわたぐち)に国友、久国をはじめとする粟田口派がおこり、一方、同じころ四条大路には定利(さだとし)、定吉らの綾小路(あやのこうじ)派が活躍した。後期には国行を祖とする来(らい)派の隆盛をみるが、南北朝時代に入ると信国(のぶくに)が同銘数工数代続き、長谷部(はせべ)派も腕を競った。室町時代には信国派以外に名工の輩出はなく、末期に平安城長吉、三条吉則(よしのり)の名があげられる程度である。桃山時代には急激に鍛冶(かじ)が蝟集(いしゅう)し、堀川国広、埋忠明寿(うめただみょうじゅ)、伊賀守金道(いがのかみかねみち)などの一門が栄えたが、やがて江戸に政治の中心が移るとともに衰退した。山城物は、寺社や領主に隷属せず、一般に市販されていたのが特色とみられ、ために作風も華やかで地鉄(じがね)、刃文の優美なものが多い。

[小笠原信夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山城物」の意味・わかりやすい解説

山城物
やましろもの

山城国 (京都) の刀工による刀剣。平安時代以降,江戸時代まで多くの名工が出た。平安時代には伯耆の安綱,京都の三条小鍛冶宗近が,いわゆる日本刀初期の名工として著名。鎌倉時代には粟田口に居住した粟田口国友,国綱,吉光ら粟田口派が著名であり,いずれもすぐれた作刀が現存する。これに対して「来 (らい) 」と称する一派が国行を祖として,鎌倉時代中期~南北朝時代に繁栄した。なお文永年間 (1264~75) 頃には綾小路に住したと伝えられる綾小路定利がいる。このほかに了戒の系に属し,相州貞宗の弟子と伝えられる信国一派,正宗の弟子とされる長谷部国重・国信一派,鎌倉時代末期の年紀のある作品を残す平安城光長などが著名。室町時代の山城には前代に続いて信国一派と平安城長吉,三条吉則一派と鞍馬関一派がある。新刀の京物には埋忠明寿 (うめただみょうじゅ) を祖とする埋忠派,信濃守堀川国広を祖とする堀川派,これに対する三品派の良工が出て京鍛冶は隆盛をきわめたが,江戸時代中期以後はふるわなかった。

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百科事典マイペディア 「山城物」の意味・わかりやすい解説

山城物【やましろもの】

京物とも。山城国の刀工が作った刀剣の総称。平安時代中ごろに三条宗近が出てから各時代に名工が輩出,特に鎌倉時代には粟田口派,来(らい)派が栄え全盛をきわめた。粟田口派の久国,則国,国吉,吉光,来派の国行,国俊,来国光,来国次などのほか,綾小路派の定利などが名工として知られる。南北朝,室町時代には長谷部派,信国派のほか三条吉則,平安城長吉などが出たが,以後衰えた。

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