下請制工業(読み)したうけせいこうぎょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「下請制工業」の意味・わかりやすい解説

下請制工業
したうけせいこうぎょう

より規模の大きな企業が、自社より規模の小さな企業に対し、自社の製造工程や作業の一部、あるいは自社用の部品の製造を、反復的、長期的に発注する仕組み。下請制は、建設業界全体やサービス業界の一部にもみられるが、工業の領域では、親企業(発注企業)が半製品や部品を内製するよりも、下請企業に外注したほうが有利になる条件が存在するところで成立する。価格形成面での親企業の支配と下請企業の従属関係がそれである。製造業全体に占める下請企業の割合は1967年(昭和42)の60.7%から1981年の65.5%をピークに、その後は減少が著しく、1998年(平成10)には47.8%と半数以下になっている。とくに一般機械、電気機械、輸送用機械、精密機械などの組立て産業と繊維産業において、下請企業の比率が高い。

[殿村晋一・鹿住倫世]

下請制の発展

日本の工業における下請制工業は、町工場が大工場の内製部品などの下請加工が可能となる第一次世界大戦のころから始まり、第二次世界大戦期の「戦時経済」下での軍需生産の下請協力工場をベースとして、戦後、繊維、金属、機械工業を中心に復活し、独占体の再編成とともにその系列化も進行した。この時期の大企業による中小の「町工場」の利用は、親企業による資本(固定・流動)の節約、大小企業間の賃金格差を利用した親企業の下請収奪(その結果としての一次下請による二次・三次下請の利用)や、戦前にもみないほどの親企業による下請代金の支払い遅延をその特徴としていた。

 1955年(昭和30)前後に始まる技術革新は、基幹産業を中心とする設備投資主導型の重化学工業化を推進し、一般機械工業を発展させ、自動車産業や家電産業など量産型耐久消費財産業の発展を促した。この高度成長による「労働力不足」、企業間の「賃金格差縮小」が下請制の存立基盤を掘り崩したため、国際競争力強化を目ざす大企業によって下請系列企業の選別強化と系列融資が進められ、下請中小企業の設備更新が図られた。その結果、1960年代なかばには、大企業の内製部門をしのぐ部品の高品質化とコストダウンを実現した専門メーカーが群生した。

 1964~1965年の不況と大型合併は、より組織的な下請系列の再編成を導き、集中発注、一括発注あるいは二次下請以下の整理など、発注方法の合理化や外注管理の近代化が推進され、品質管理も一次下請に移管された。

[殿村晋一]

下請企業の多様化

1970年代には、下請関係の多様化が進んだ。特定1社の専属下請、同一産業の多数企業の下請、複数産業の企業の下請、なかには大企業の商標を冠した自社製品(完成品)を大企業に納入している「OEM(Original Equipment Manufacturerの略、相手先ブランドによる受託製造)」なども現れ、メカトロ機器や産業ロボットなどを導入し、高い専門技術を保有する独立加工専門企業、独立部品専門メーカーが、脱専属化あるいは脱下請化の道を歩み出している。加えて、専属下請あるいは再下請の技術水準も高まり、これら下請企業を含む生産性の高さが、日本の国際競争力を支えている。

 1985年のプラザ合意以降、自動車産業を中心として現地生産が進み、それに伴って下請企業も海外進出を余儀なくされてきたが、それについていけない下請企業は淘汰(とうた)されていった。1990年代のバブル経済の崩壊以降は、いっそうの円高と中国等の新興工業国の台頭により、下請企業も国際的なコスト競争にさらされるようになり、下請企業の選別が行われるとともに、系列外の企業との取引も増加した。現在、存続している下請企業は、相応の技術力を保有する企業であり、複数の大手企業と取引することもめずらしくない。

[殿村晋一・鹿住倫世]

『中村秀一郎著『挑戦する中小企業』(1985・岩波書店)』『市川弘勝・岩尾裕純編著『70年代の中小企業』(1972・新評論)』『巽信晴・山本順一編『中小企業政策を見なおす』(1983・有斐閣)』

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