糠田村(読み)ぬかたむら

日本歴史地名大系 「糠田村」の解説

糠田村
ぬかたむら

[現在地名]鴻巣市糠田

登戸のぼりと村・中野なかの村の西、荒川東岸にある。西は小谷こや(現吹上町)および荒川を隔て比企郡須戸野谷すどのや新田(現吉見町)、南は滝馬室たきまむろ村。「吾妻鏡」建久六年(一一九五)三月一〇日条によれば、源頼朝の奈良東大寺供養に従った随兵のうちに奴加田太郎の名がみえ、奴加田氏は当地名を名乗る武士とされる。近世には足立郡おし領に属する(風土記稿)。中山道から分れて松山(現東松山市)へ向かう道が南北に通り須戸野谷新田との間を結ぶ荒川の渡船場は糠田河岸とよばれる。寛永一二年(一六三五)の忍領在々御普請役高辻帳(中村家文書)に村名がみえ高九〇九石余。


糠田村
ぬかたむら

[現在地名]桑名市額田ぬかたまつ大山田おおやまだ

現桑名市の西部にあり、員弁いなべ星川ほしかわ村の東に位置する。南は町屋まちや川に臨み、北は丘陵地。その麓を濃州(員弁)街道が東西に通っている。江戸時代には糠田と記しているが、明治一六年(一八八三)三月に旧称の額田に復した。「和名抄」の桑名郡額田郷に属する。古代には額田部氏が大きな勢力をもったと伝えられ、式内額田神社があり、その付近の山地にはかつて数個の円墳があったといわれる。また丘陵地に七世紀後半の額田廃寺(浄蓮寺)跡がある。嘉元四年(一三〇六)六月の昭慶門院御領目録(京都大学蔵)には「額田納所延政門院(悦子内親王)」とみえている。中世額田城跡および高塚たかつかの虚城跡がある。


糠田村
ぬかだむら

[現在地名]君津市糠田

大井おおい村の南方小糸こいと川左岸に位置する。古代周淮郡額田ぬかた(和名抄)の遺称地とされる。文禄三年(一五九四)上総国村高帳に村名がみえ、高四五〇石。正保国絵図では高四三四石、元禄郷帳でもほぼ同高。元和三年(一六一七)知行宛行状により当村の高三〇〇石が旗本藁科領、一部が同永田領となった。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数五七、旗本の永田・井戸・藁科の三家領。天保郷帳では高四六二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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