朝日日本歴史人物事典 「紀太理兵衛」の解説
紀太理兵衛
生年:慶長8(1603)
江戸初期の高松の陶工。近江(滋賀県)信楽の出で,もと森島作兵衛重利といった。父は豊臣秀吉の旗本であったが,郷里にもどり製陶にたずさわっていた。重利は父の業を継ぎ,京に上り,粟田口で修業を積んでいたが,慶安2(1649)年に高松藩主松平頼重に召し抱えられ,名を紀太理兵衛と改め,以後御用焼物師を勤めた。作風は京焼の色絵陶器を主流とし,茶道具や装飾具も作ったという。作品には銘はなく,俗に古理兵衛と呼ぶ。以後紀太家は家業を守り,13代の当主がその伝統を受け継いでいる。<参考文献>豊田基「讃岐のやきもの」(『日本やきもの集成』10巻)
(矢部良明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報