デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「紀太理兵衛」の解説
紀太理兵衛(初代) きた-りへえ
慶長8年生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)信楽(しがらき)の人。京都粟田口(あわたぐち)で修業する。慶安(けいあん)2年讃岐(さぬき)高松藩主松平頼重(よりしげ)の御用焼物師となり,名を森島作兵衛重利から紀太理兵衛とあらため,高松焼(一名理兵衛焼)を創始。野々村仁清(にんせい)風の色絵陶器をつくった。延宝6年3月4日死去。76歳。
紀太理兵衛(2代) きた-りへえ
初代紀太理兵衛の子。讃岐(さぬき)高松藩の御用焼物師の家業をつぎ,高松焼の作陶にしたがう。藩主から,破風高(はふだか)とよばれる高の字の印銘をあたえられ,以後代々使用した。元禄(げんろく)17年2月6日死去。名は重治。
紀太理兵衛(9代) きた-りへえ
慶応2年(1866)家業の讃岐(さぬき)高松藩御用焼物師をつぐ。京都の3代高橋道八に師事。明治3年名を理平にあらため,煉瓦(れんが)製造も手がける。一時京都に出,30年ごろ帰郷して高松焼を再興した。名は惟通。通称は亀之丞。
紀太理兵衛(4代) きた-りへえ
3代紀太理兵衛の養子となり,讃岐(さぬき)高松藩の御用焼物師の家業をつぐ。天明4年死去。本姓は蓮井。名は惟久。通称は弥助または伊三郎。
紀太理兵衛(3代) きた-りへえ
2代紀太理兵衛の子。讃岐(さぬき)高松藩の御用焼物師の家業をつぐ。元文3年4月2日死去。名は行高。
紀太理兵衛(6代) きた-りへえ
讃岐(さぬき)高松藩の御用焼物師の家業をつぐ。名は惟持。通称は三千蔵。