紀美野(読み)きみの

改訂新版 世界大百科事典 「紀美野」の意味・わかりやすい解説

紀美野[町] (きみの)

和歌山県北部,海草郡の町。2006年1月野上(のかみ)町と美里(みさと)町が合体して成立した。人口1万0391(2010)。

紀美野町西部の旧町。海草郡所属。人口7852(2005)。紀ノ川支流貴志川中流に位置し,町域の大半は紀伊山地に属する山地である。果樹,野菜,花卉栽培を中心とした農業が営まれるが,野上谷は古くからシュロの栽培地として知られる。シュロをたわしほうきなどに加工する農村家内工業が盛んであったが,近年はビニルを用いたたわし,ロープなどの製造に転換している。町の南端にある生石ヶ峰(おいしがみね)(870m)の山頂は眺望がよく,生石高原一帯は県立自然公園になっている。町の西端には野上八幡宮があり,本殿拝殿などは重要文化財に指定されている。

紀美野町中東部の旧町。海草郡所属。人口3791(2005)。紀ノ川の支流貴志川が中央を西流し,貴志川の支流鞆淵(ともぶち)川が北部を西流する。貴志川の谷筋は野上谷と呼ばれ,川沿いに高野街道が通り,中心集落の神野市場(こうのいちば)から南に竜神街道が分岐し,有田郡との境をなす長峰山脈を遠井辻(といつじ)峠によって越える。平安末期には高野山領神野荘,真国荘が設置され,江戸時代も一帯は高野山領であった。河岸平野の神野市場は荘園成立当時から付近の交易の中心地で,近世にも市が開かれた。町域は山がちで農林業を基幹産業とし,富有柿,ミカンなどの栽培が盛ん。野上谷では特産のシュロが栽培され,たわし,ほうきなどの加工品は全国に出荷されたが,近年は化学製品に押されて不振である。野中にある十三神社はかつての神野荘の鎮守社で,その本殿と摂社2社の本殿は重要文化財。真国荘の鎮守は真国宮(まくにのみや)にある丹生(にゆう)神社であった。長谷宮の泉福寺の梵鐘(重要文化財)には安元2年(1176)〈勧進入唐三度聖人重源〉の銘がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「紀美野」の意味・わかりやすい解説

紀美野(町)
きみの

和歌山県北部、海草(かいそう)郡にある町。2006年(平成18)海草郡の野上(のかみ)、美里(みさと)の2町が合併して、紀美野町となった。中央を貴志(きし)川、北部を支流の真国(まくに)川(鞆淵(ともぶち)川)がほぼ西流する。山間地域で、森林が総面積の75%を占める。貴志川沿いに国道370号(高野参詣(さんけい)路)が通じ、主要地方道美里龍神(りゅうじん)線(旧、龍神街道)が神野市場(こうのいちば)で分岐する。この立地条件により神野市場は中世以来市場町として栄えた。かつてはシュロ栽培とその加工が盛んであったが、いまは果樹栽培や養鶏、和雑貨生産にかわっている。野上八幡神社(のかみはちまんじんじゃ)(野上八幡宮)は石清水(いわしみず)八幡宮の別宮で、本殿、拝殿など5棟が国の重要文化財に指定されている。また、十三(じゅうさん)神社および同社の摂社丹生(にう)神社・八幡神社の各本殿も国指定重要文化財。南西部に広がる生石(おいし)高原は県立自然公園になっている。面積128.34平方キロメートル、人口8256(2020)。

[編集部]


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百科事典マイペディア 「紀美野」の意味・わかりやすい解説

紀美野[町]【きみの】

和歌山県北部に位置する海草郡の町。西縁を海南市に接する。2006年1月,海草郡野上町,美里町が合併し町制。国道370号線が通じる。128.34km2。1万391人(2010)。

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