ミツマタ(三椏)、コウゾ(楮)、ガンピ(雁皮)などの繊維を漉(す)いて和紙とし、これを千鳥状に紙の一部を残し、細く裁断して紙縒(こより)とし、これをつなぎ合わせて織物に織ったもの。抄繊(しょうせん)織物、紙(かみ)織物ともいう。これとは別に洋紙から製作したものもあるが、紙布に含めないのが普通である。紙布の種類には、経緯(たてよこ)とも紙糸(かみいと)を使ったもの、経に絹または木綿(もめん)を使い、緯に紙糸を打ち込んだもの、絹織物の一部に紙糸を使い、紅梅織にしたものがある。
紙布を製作するには、靭皮(じんぴ)繊維をとったのち、紙漉きと同じ工程で繊維をそろえるようにして紙を漉く。これをまな板の上で包丁を使い細く千鳥状に裁断したのち、よくもんで糸績(う)みをする。1枚の紙は1本の糸となるが、ときには長さ120メートルに及ぶものさえできる。これを糸車あるいは撚糸(よりいと)八丁車で撚りをかけ糸染めののち高機(たかばた)によって織り仕上げをする。なお群馬地方では居座機(いざりばた)によっていた。
このような生産は、原料の和紙生産と関係があるため、それぞれの和紙生産地で副業的に行われたとみられるが、そのうち宮城県白石(しろいし)でつくられたものは、江戸時代から白石紙布として知られており、また雁皮(がんぴ)紙を使った紙布は熱海(あたみ)特産であったし、新潟、島根、山口県など、和紙生産地でもつくられていた。白石産のものは、片倉藩の保護のもとに家臣の手内職として発達し、片倉家から将軍へも献上され、夏の礼服から、下級武士、農民が使用する実用着まで各種に分かれ、浴衣(ゆかた)、夏羽織、裃(かみしも)、帯、蚊帳(かや)、頭巾(ずきん)、脚絆(きゃはん)など広範囲に及んでいた。
しかし、明治以後はほかの織物の進出のため衰退し、大正初期以降、衰微もその極に達したが、1941年(昭和16)に奥州白石工芸研究所の手によって復興された。また第二次世界大戦のとき、衣料不足から洋紙の原料を使って紙布を織り出し、衣料、蚊帳などになったが、一時的な生産に終わった。
各地の和紙生産と関連して生産された紙布は、白石紙布のように商品化されたものではなく、農民の衣料として自家消費用につくられたにすぎない。近年になって紙布を民芸的に生産しようとする意向があり、京都府下の黒谷(くろたに)のように、一部の地域で小規模に生産されるようになった。紙布は綿織物と品質的によく似ており、一般に考えるよりも耐水性に優れ、耐久力があり、染色性もよいので広く需要があり、縮緬(ちりめん)、絽(ろ)、綾(あや)など多くの組織がつくられ、他の織物と同じように使われていた。
[角山幸洋]
特殊織物の一種。経緯とも紙撚糸を使い平織,斜子織,綾織などに織ったもの,経に綿糸,絹糸,麻糸,緯に紙撚糸を使ったものもすべて紙布と呼ぶ。経緯使いを諸紙布といって帽子に用い,経に綿糸,緯に紙撚糸を使ったものは紙布襖張地に用いる。古くは和紙をよくもみ,細く切って撚りをかけた糸で縞,格子,霜降りなどに織った。江戸時代には,仙台藩白石(しろいし)産が多く,白石紙布として著名であった。左撚り,右撚りと分け,紙布縮緬,先染紙布,型染のものもあった。汗にも強く洗濯にも耐えるため,夏の着尺(きじやく),帯地に用いた。現在は袋物,装飾品,座布団などがわずかに生産されるにすぎない。
→紙子(かみこ)
執筆者:宮坂 博文
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