経王寺(読み)きようおうじ

日本歴史地名大系 「経王寺」の解説

経王寺
きようおうじ

[現在地名]堺市九間町東三丁

にしき小学校の西辺に位置し、日蓮宗、山号本覚山、本尊十界大曼荼羅。縁起によると永享元年(一四二九)大聖院日延の開創。日延は泉佐野(現泉佐野市)の出身で、のちに不受不施派の拠点となった妙覚みようかく(現京都市上京区)の九世となった人物で、妙台みようたい(現和歌山県海南市)を再興した後、当地に来て布教し当寺を開創。当初は堺南さかいみなみ庄にあったが、三世日教の時、現在地に移建され隆盛したと伝える。


経王寺
きようおうじ

[現在地名]宮津市字金屋谷

金屋谷かなやだにの西南部、国清こくしよう寺の北に接する。本城山と号し、日蓮宗、本尊十界大曼荼羅。

慶長七年(一六〇二)与謝郡本庄ほんじよう(現伊根町)の真言宗楞厳りようごん寺を、日依が宗論の末改宗したものという。京極高広が現在の地に移し、女了智院妙尭月清の香華所とした。弘化元年(一八四四)再建本堂天井画の雲竜は、宮津の和田屏山の筆。


経王寺
きようおうじ

[現在地名]金沢市小立野五丁目

寿福山と号し、日蓮宗。本尊十界大曼茶羅。慶長六年(一六〇一)加賀藩三代藩主前田利常の生母、寿福院先祖の菩提寺である越前府中ふちゆう(現福井県武生市)経王寺の弟子養仙院を招いて建立された(三州寺号帳・貞享二年寺社由緒書上)。寛永八年(一六三一)江戸で没した寿福院の葬儀が行われたが、その直後の金沢大火で延焼し、正保四年(一六四七)寿福院の十七回忌に利常によって再建され、妙成みようじよう寺一四代日淳を開基とした(前掲由緒書上)


経王寺
けいおうじ

[現在地名]豊平区豊平四条三丁目

日蓮宗の寺院。山号は妙法華山。明治四二年(一九〇九)寺院明細帳(札幌区史資料)によると、明治一三年四月に寺院創立、寺号公称の許可を受けて同一五年に間口一一間・奥行八間の本堂を建立。本尊は釈迦如来境内坪数八千一五八坪であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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