経田村(読み)きようでんむら

日本歴史地名大系 「経田村」の解説

経田村
きようでんむら

天正一五年(一五八七)八月の経田永付帳(伴文書)によると、土倉つちくら分・岩倉いわくら村・ふきはら村・猿倉さるくら村・土塩つちしお村・坪野つぼの村・いかわら村・松木まつのき名・しも村の九ヵ村をさし、合計貫高一〇〇貫三五八文で米合計三〇一俵余。但書に「一貫ニ三俵年貢也」とみえる。前記の地ははや川上流右岸一帯のこしみやだいら中野なかの中林なかばやし・坪野・土塩・猿倉・吹原ふきはら・岩倉・土倉五十原いかはらの地にあたる。現在左岸にある五十原は江戸時代初期に対岸に移住したという伝承をもつ。

宮平みやだいらにあるつるぎ神社は、永享三年(一四三一)の棟札に「奉造立 矛嶽座 京田剣三社権現」とあり、文政二年(一八一九)の鳥居札には「京典 惣鎮守 剣三社」とある。京田きようでん村では平安時代に佐美豆薬という薬が作られており、「大同類聚方」に「佐美豆薬 頸城郡早水郷京田村主」とあり、早水さみず郷は後の早川谷一帯のことと考えられる。


経田村
きようでんむら

[現在地名]小矢部市経田

西川原にしがわら村・西川原新村胡麻島ごまじま村の南、小矢部川右岸平地に立地。一部は左岸にある。元和五年(一六一九)の家高新帳に「きやうてん」とみえ、役家数一四、高木組に属する。正保郷帳では高六四〇石余、田方四二町六反余・畑方二反、新田高二二石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高七一八石・免三ツ八歩、小物成は野役一三匁、猟船櫂役二〇匁(うち一〇匁出来)・鮭役一三一匁・鱒役三匁(三箇国高物成帳)。天保一〇年(一八三九)の高物成帳(菊池家文書)では元禄七年(一六九四)の検地引高六七石、貞享三年(一六八六)から天保九年までの新開高など高一一九石を加え、高七八〇石・免四ツ。


経田村
きようでんむら

[現在地名]土佐山田町京田きようでん

蔵福寺島ぞうふくじじま村北東の平野に位置し、寛文七年郷帳(「南路志翼」所収)は、村名を「京田」と記す。岩村いわむら郷に属し、天正一六年(一五八八)岩村郷地検帳には経田村として九三筆以上が記されるが、虫損があり全体は不明。「キヤウテン」の一反四〇代の上屋敷に住む岩村藤次郎を中心に、周辺に一二軒の屋敷が軒を連ねる。しかし耕地は多くの給人に分与されており、岩村藤次郎の勢力も大きいものではなかったと思われる。

元禄地払帳によると本田高二二二・一九五石、新田高六三・九八四石。本田のうち蔵入地一一六石余、残りは乾半丞の知行、新田のうち貢物地一七石余、残りは四名の知行。


経田村
きようでんむら

[現在地名]福井市大宮おおみや二―三丁目・みや二―三丁目

福井城下の北、高木たかぎ村の西南方にある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「阿豆布西之郷」に含まれる。正保郷帳に村名がみえ、田方八四八石余・畠方五六石余。福井藩領。「越前国名蹟考」は枝村として稲倉いなくらを記す。

長面ながつらは高木村と、東の幾久いくひさ村の用水水落ともなり、下流域九ヵ村の用水源ともなるため、湛水地帯となって絶えず上下両地域との係争地であった。延享元年(一七四四)灯明寺とうみようじ前井袋まえいぶくろ堤破損を修繕したところ、かえって悪水がたまって当村との間に争論が起こった。


経田村
きようでんむら

[現在地名]大網白里町経田

駒込こまごめ村の東に位置し、小中こなか川が南東流する。経典・京田とも書かれたが、元禄期(一六八八―一七〇四)に経田に定まったという。天正一九年(一五九一)七月の土気之郡経田村検地帳(今井家文書)では名請人三二。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に経島(誤記か)とみえ、高一七八石。寛永二年(一六二五)当地今井家は先祖草分田畑高三五石余を五人の百姓に分地している(「寛永寄日記写控帳」今井家文書)。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では富田組のうちに京田とあり、旗本酒井領一四六石余。


経田村
きゆうでんむら

[現在地名]播磨町古田ふるた・古田一―二丁目・北本荘きたほんじよう一丁目・同四丁目

古向こむかい村の東に位置し、北は山之上やまのうえ(現加古川市)慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳によると田方一八一石余・畑方五石余。宝暦一四年(一七六四)村明細帳(播磨町郷土資料館蔵)によれば高二二九石余・反別一三町八反余、家数三四・人数一八五、牛一三。


経田村
きようでんむら

[現在地名]富山市経田

神通川右岸沿いに位置し、北は東塚原ひがしつかはら村、東は才覚寺さいかくじ村。江戸初期は加賀藩領、万治三年(一六六〇)の領地替で富山藩領となる。正保郷帳では高一〇八石余、田方六町七反余・畑方四反余、新田高四一石余。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高一六六石、免四ツ五歩、小物成は鮭役五二匁・鱒役六匁・鮎川役一一匁・猟船櫂役三〇匁。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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