肥後一揆(読み)ひごいっき

百科事典マイペディアの解説

肥後一揆【ひごいっき】

近世初頭に起きた一揆肥後国衆(くにしゅう)一揆ともいう。1587年検地に反対して隈部親永(くまべちかなが)が主導する一揆勢が,5ヵ月にわたって領主佐々(さっさ)成政および豊臣秀吉が派遣した大名の軍勢と交戦に及んだ。従来の領知支配が否定されることにつながるため,一揆には菊池氏家臣であった国衆や阿蘇(あそ)氏の家臣であった甲斐(かい)氏らも加わり,肥後から豊前(ぶぜん)国黒田領や肥前(ひぜん)国諫早(いさはや)領にも波及した。明(みん)への出兵を構想する豊臣秀吉にとって前衛基地となる九州を押さえる必要があり,3万余の軍勢を西日本の大名から動員して,この一揆を殲滅(せんめつ)した。

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世界大百科事典 第2版の解説

ひごいっき【肥後一揆】

桃山時代,肥後の国衆によって引き起こされた検地反対の一揆。1587年(天正15)7月下旬から約5ヵ月間に及んで,時の領主佐々成政および豊臣秀吉派遣の大名軍と戦う。主導者は肥後北東部の旧隈府(わいふ)(現,熊本県菊池市)城主隈部(くまべ)親永で,彼が検地反対の一揆を起こすや,即座に旧菊池氏の有力家臣であった国衆や阿蘇氏の旧家臣であった国衆甲斐氏も参加し,ついに肥後の全国衆層に及んだ。またこの動きは豊前黒田領や肥前諫早地域にも波及した。

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