臥蛇島(読み)がじやじま

日本歴史地名大系 「臥蛇島」の解説

臥蛇島
がじやじま

[現在地名]十島村臥蛇島

とから列島中の周囲約一二キロの火山性の島。面積四・〇七平方キロ。最高峰は標高四九七・二メートルの岳。平地はなく、海岸は断崖からなる。昭和四五年(一九七〇)以降無人島。東方六キロに最高標高三〇一メートルの小臥蛇こがじや(無人島)、東に口之くちの島・中之なかの島、南にたいら島がある。

〔中世〕

薩摩国河辺郡十二じゆうに島のうちしち島に属した。宝徳二年(一四五〇)当島に朝鮮人が漂着した際、当島は薩摩と琉球に両属しているとされたという(李朝実録)。永正九年(一五一二)「臥 一嶋」が守護島津家により種子島忠時に与えられた(同年三月二七日「島津家老臣連署坪付」種子島家譜)。翌一〇年種子島氏の役所に七島のうち当島から綿・鰹節・叩(鰹煎汁)が上納されている(同年三月吉日「臥蛇島上納日記」同家譜)。一四七一年朝鮮で刊行された「海東諸国紀」の九州之図、明代の一五五七年に刊行された「日本一鑑」の絶海新篇図に当島がみえる。

〔近世〕

河辺郡七島のうち。鹿児島藩船奉行の管轄下、口之島に派遣された在番が管轄した。幕末には臥蛇島にも在番を置いたのか、竹内壮太の名が知られる(十島村誌)。また口之島に派遣された横目の下、島民中から選ばれた二人の横目(島横目)がいた。在番の下では臥蛇島の郡司が浦役を兼ねながら島政にあたった。幕末の郡司として肥後源五衛門、郡司代として高崎助次郎が知られる(十島村文化財調査報告書)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「臥蛇島」の意味・わかりやすい解説

臥蛇島
がじゃじま

鹿児島県吐噶喇(とから)列島の中の一島。面積4.07平方キロメートル、周囲9.3キロメートル。鹿児島郡十島村(としまむら)に属する。輝石安山岩からなる旧期火山島で、最高点は中央にある御岳(おんたけ)の497メートル。周囲はすべて数十~100メートル以上もある断崖(だんがい)で、かつて本島にあった小集落は60メートル以上も登った崖上の狭い斜面に跡を残している。1970年(昭和45)常住世帯数8、人口30人となり、全島あげて離島し、無人島となった。それまでは鹿児島港より村営定期船が週に1便程度立ち寄ったが、現在は定期便はない。無人となったのち、村役場(鹿児島市にある)の管理の下にヤギシカなどの自然放牧が行われた。

[塚田公彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「臥蛇島」の意味・わかりやすい解説

臥蛇島
がじゃじま

鹿児島県南部,吐 噶喇列島の北西部にある島。最高点は御岳 (497m) 。十島村に属する。安山岩から成る火山島。 1970年,全島民が離島して,現在は無人島。面積 4.5km2

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デジタル大辞泉プラス 「臥蛇島」の解説

臥蛇島

鹿児島県鹿児島郡十島村、トカラ列島最大の島、中之島の北西約36kmに位置する無人島。南東には小臥蛇島がある。平家の落武者伝説が残る。1940年代には100人を超える住民がいたが、1970年全世帯移住により無人化。

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世界大百科事典(旧版)内の臥蛇島の言及

【吐噶喇列島】より

…総面積101.35km2,人口776(1995)。屋久島と奄美(あまみ)大島の間,七島灘と呼ばれる東シナ海の海域に北東から南西方向に,約160kmにわたってほぼ2列に島が点在,東側には北から口之島,中之島諏訪之瀬島,悪石(あくせき)島,小宝島,宝島,西側には北から臥蛇(がじや)島,小臥蛇島,平(たいら)島が並び,南方に離れて横当(よこあて)島がある。北緯30度線が最北の口之島を通る。…

※「臥蛇島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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