では,なぜバラ色の眼鏡で見た自己認知や自己評価が精神的健康にとって有効に作用するのだろうか。実際に有効な成果を創出するだけの実力や外界統制力が不足しているとすれば,実際と認知や評価のその齟齬はかえって悪い結果を招くことにはならないのか。たとえば重い病気のような,自分では統制しきれないストレスの高い出来事・状況にあっても自己効力感を高め積極的にかかわろうとすることは,抑うつ的になるのを回避し病気の進行を緩やかにすることもあり,自分にはどうしようもないと悲観するよりはるかに適応的だ,というのがテイラーらの見解である。ポジティブ幻想は個人レベルだけでなく対人間レベルにおいても,適応的であることを示す報告がある。恋人や夫婦など持続的親密関係では,自分自身に対して肯定的である人の方が,パートナーから愛されていると信じることができて良好な関係を維持できるが(Murray,S.L. et al.,2001),反対に自分に対して否定的な見方をしている人は,自分はパートナーからの愛に値しないと考え相手の愛に疑いを向けてしまう傾向がある。また自分たちの関係は他の人たちのそれよりずっといいと思っているほど幸福感や満足感が高い。
潜在的自尊感情は暗黙の自尊感情ともよばれ,自発的・自動的で無意識レベルの自分自身への肯定的評価感情をいう。これは,自分や自分に連なるものを当人も気づかない暗黙裏にはどうとらえているのかを問題にし,自己と肯定性・否定性との連合の強さを測る非直接法で測定される。そのような手法としては,自分の名前に含まれるアルファベットやひらがなを,そうでない文字に比べて好意的に評価する名前文字効果name letter effectや,自分の誕生月日の数字を他の数字よりも好意的に評価する誕生日数字効果birthday number effectを利用するもの,潜在連合テストimplicit association test(IAT)などがある。
自尊感情尺度を用いた国際比較研究は,文化によって自尊感情レベルが異なり日本では(顕在的)自尊感情が低いことを報告している。自尊感情の高さは適応指標と考えられているが,西洋とくに北米の基準をもしそのまま当てはめるなら,わが国のそれは子どもから成人まで「不適応」レベルに近い。このような傾向をめぐって,さまざまな議論が交わされてきた。それらは大きく分けて二つの見解に整理することができる。第1は,そもそも自尊感情や自己高揚傾向は西洋社会・文化の中でこそ意味があり,決して人間にとっての本質的・普遍的なものではない(Heine,S.J. et al.,1999),という立場である。わが国を含む東洋の文化では協調が重んじられ,自分を有能で優れた人物ととらえることは弊害こそあれ必要性も利得もない。自分はたいした人物ではないと思うことが他者の意見に耳を傾ける態度を生み,それによって他者からの高い評価と良い関係を獲得できる,というのである。北米では,自尊感情は幸福感と関連するが,日本ではそれは認められずむしろ人間関係の良好さが幸福感につながる(Uchida,Y. et al.,2003)。第2の立場はこれとは異なる。自分自身に対して肯定的態度をもつのは人の本質であり,これまで報告されている自尊感情や自己高揚傾向の文化間の違いは,自己呈示文化の違いを反映している,という立場である。つまり,北米では自分に対して揺るがない自信をもっていることが良いことだと考えられており,自己を呈示する際には自己肯定をストレートに表現する。他方,アジア人が自分のことをあまり肯定的に評価しないのは謙遜という呈示様式を取るからであり,「社会的規範に沿った自己呈示」によって高評価を得る必要がないようなきわめて親しい相手や今後関係をもつことはないと考える相手に対して,また完全匿名性が保証される場合などにおいて,自己肯定を表わすことがある。つまり,東洋文化において「自己肯定」は存在しないのではなく,状況に応じて表現を調節しているのだ,というのである。本人がそれと気づかないように測定される潜在的自尊感情を測度とした場合には,アジアでも顕在的自尊感情を測定しているだけでは見られなかった自己高揚傾向の存在が確認され,これこそが自尊感情の普遍性を示している,という論が出されている(Yamaguchi,S. et al.,2007)。