社会的自己(読み)しゃかいてきじこ(その他表記)social self

最新 心理学事典 「社会的自己」の解説

しゃかいてきじこ
社会的自己
social self

自己selfは,古くから多くの研究者がその解明に取り組んできた心理学の重要なテーマの一つである。ジェームズJames,W.(1890)は物質的自己material self,社会的自己social self,精神的自己spiritual selfの三つを,人が自分自身を対象として作り上げる自己すなわち客我の構成要素とした。クーリーCooley,C.H.やミードMead,G.H.ら象徴的相互作用派の研究者も,ジェームズのいう社会的自己と共通の考え方に立つ概念を発表し,人は他者を鏡に見立てそこに映った姿を自己像として取り込むと論じた。他者がとらえた自分の姿を自己表象として取り込んだものを,社会的自己であるとした。しかし今日,社会的自己という語は,この3要素の一つである動かぬ静止画像のようなものを超えて,より包括的でダイナミックな意味を内包するようになってきている。

 社会的動物である人にとって,適切な交流相手の選択や関係性の調整上,自己や他者の思考感情や行動を推測したり理解したりすることはとても重要である。人がその高度な知性ゆえにもつことになった自己についての明確で安定的な表象は,社会的交流における自らの現在の立ち位置の理解や評価,将来予測などを行なう際の情報源となる。自己表象はさらに,他者の心の理解にも役立つ。自分が友だちを助けて喜びや満足を感じたことを記憶しているなら,友だちに援助を求めてもそれほどいやがられずに助けてくれるだろう,と推測できる。このように,自己は単に過去の自己がどうであったかの知覚産物というだけにとどまらず,自己や他者の社会的交流を理解・予測し管理することによって,適応に大きなアドバンテージをもたらすダイナミックなシステムとして機能する。まさに,社会的自己の今日的意味は,自己が社会を適応的に生きていくことを可能にするシステムである,という点にある。現代の社会的不適応,機能不全犯罪などは多くの場合,自我・自己の発達不全や脆弱性と結びついているといわれており,社会的自己は,複雑性を増した現代社会においてもいっそう大きな役割を担っている。

【自己表象self-representation】 初期の自己研究は,自己表象の1セットを自己概念self-conceptということばで表わし,人は自分をどのような人間だととらえているのだろうかという関心から,その中身を分類することに熱心であった。やがて認知革命が起き,知識表象への関心のあり方が認知の産物としての静的なものから認知や行動を導く動的な側面へと変化し,自己概念も動的側面を強調したセルフ・スキーマself-schemaという語で言い表わされるようになった。そして,自己研究の中心的テーマは,自己についての推測・理解・記憶における機能へと拡大していった。スキーマschemaとは,日々の体験に基づいた知識をも含む,一般化され構造化された知識体系である。マーカスMarkus,H.R.(1977)は,独立性に注目し,自分を独立的だととらえ独立性セルフ・スキーマを発達させている人は,独立性関連情報に敏感で判断が速くそれらを効率よく取り込み記憶に定着させやすいと報告している。

 セルフ・スキーマを構成する知識は,自分の過去経験や現在の状態ばかりとは限らない。将来自分がどのような人間になりうるか,なりたいか,あるいはなったら困るか,われわれは繰り返し像を描きかなり精密な表象を作り上げていることが多い。まだ実現していないが将来なりうるかもしれないとして描いている自己像は,可能自己possible selfと名づけられている。これまで自己研究は基本的に現在の自己しか想定してこなかったが,願望や懸念などを特定化した像である可能自己イメージが導入され,目標到達手段として行動を作り出す動機づけ機能を説明できるようになった。たとえば,オリンピックの表彰台に上る自己を思い描く人は,それを実現しようとしてハードな訓練を自分に課すだろう。可能自己は逆に現在の自己を評価し意味づける際の基準となりうる。メダルを取るためにはこのくらいではまだスキルが不足している,この相手にこの程度の勝ち方しかできないようでは情けない,という具合である。動機づけと評価基準に関するこの考え方は,次に述べるセルフ・ディスクレパンシー理論へ引き継がれていく。

 自己表象には抽象(たとえば親切である)と具体(たとえばボランティア活動に参加した)という階層構造があるが,他方さまざまな領域という横の広がりもある。ワーカホリックのサラリーマンのように人生において「仕事しかない」という人は,有能サラリーマンに関する自己知識とアイデンティティを発達させていることだろう。他方,仕事も趣味にも熱中し仲間を広げ夜間大学院にも通い私生活では良い伴侶・親・息子であるという人は,職業人,趣味人,大学院生,家庭人など複数の領域での自己像をもち,その人の自己は多面的で複雑だと考えられる。自己複雑性self-complexityは,自己がどの程度の複雑性を有しているかを表わす概念である。自己複雑性が高いということは自己を支える柱がたくさんあるということであり,精神的健康にプラスに働く。どこか一つの領域で自己価値が脅やかされそうになっても,自己複雑性の高い人はほかのいくつもの領域で自己価値を保ち,ストレスフルな出来事からの影響に対して緩衝効果をもつことができるというのである。「仕事しかない」人が定年退職により職業人アイデンティティを失い抑うつ的になったりするのは,自己複雑性の低さが精神的健康に負の効果をもたらす一例であろう。

【自己と動機づけ】 セルフ・ディスクレパンシーself-discrepancyは,文字どおり自己間のずれdiscrepancyを表わす。ヒギンズHiggins,E.T.(1987)は,さまざまな自己表象の中で理想自己ideal selfと当為自己ought selfの二つを取り上げ,これらを動機づけを方向づける自己指針self-guideとよんで重要視した。理想自己はこのようになるのが理想だという自己像であり,理想,希望,願望,野心などを具現した自己の諸属性の表象である。たとえば,若い女性ではスリムで小顔の自分など,容姿についての鮮明な表象を理想自己としてもっている人が多いかもしれない。他方,当為自己は義務自己とも訳されることがあるように,かくあるべき,こうするのが義務だと思っている自己のあり方であり,義務や当為責任を自分流に特定化した表象で,役割・期待や道徳・規範などと関連が深い。発達の過程で,子どもは権威者である親や教師が要求する義務や責任を果たさなければならないこと,もしそれを要求や期待に添うようにしなければ叱られたり罰せられることを学習する。当為自己は,このような過去の経験から発達したより抽象的な行動原理といえる。

 ハイダーHeider,F.によるバランス理論,フェスティンガーFestinger,L.による認知的不協和理論などは,これまでにも表象間の不一致やずれが否定的感情をもたらすことを指摘してきた。セルフ・ディスクレパンシー理論も表象間のずれと否定的感情の関係に焦点を当てるが,利用可能性availabilityや接近可能性accessibilityという認知的概念を導入し,利用可能性や接近可能性が高い自己指針のタイプによって,生起する否定的感情のタイプを予測するモデルとなっていることが特徴である。

 すなわち,理想自己が利用されやすい状態にあり比較基準となる場合は,現実自己とのずれが知覚されると,自分の願望や夢が満たされずに失望や満足できないといった感情が起こる。当為自己が比較基準となる場合は,現実自己とのずれの知覚は義務や規範を犯しあるべき道から外れているという感覚をもたらし,不安や心配,責めといった感情を経験することになると予測される。

 セルフ・ディスクレパンシー理論は,その後さらに自己制御焦点理論self-regulatory focus theoryへと発展した。自己制御焦点理論によれば,多少の失敗があろうともプラスの目標に向かおうとする促進promotionと,失敗という負の状態を極力回避することを主目的とする予防preventionという二つの異なるタイプの焦点がある。各個人の慢性的傾向として,あるいは状況からの規定による一時的状態として促進か予防かのいずれか一方が顕現的となるが,それと取り組もうとしている課題の性質との適合性により,動機づけ,自己評価,意思決定,認知,感情,創造性などさまざまな次元での取り組み方,行動や認知,感情そして成果における質的違いが生じると論じている。これらは,いわば自己概念研究と自己制御ないし自己統制研究とを橋渡しし,社会の価値を取り込み個人的な形に変換したものを志向することによって社会における自己のあり方を調整していく社会的自己の動的側面を理論化しようとしている。 →自我心理学 →自己 →自己意識感情
〔遠藤 由美〕

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