ベーダーンタ学派(読み)べーだーんたがくは(英語表記)Vedānta

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベーダーンタ学派」の意味・わかりやすい解説

ベーダーンタ学派
べーだーんたがくは
Vedānta

インドの六派哲学中でもっとも有力な学派。ベーダーンタとは「ベーダ聖典の終わり」「ベーダ聖典の極意(ごくい)」の意味で、本来ウパニシャッドをさしたが、のちにウパニシャッドの体系的解釈を行うベーダーンタ学派の名称となった。本学派は紀元前3世紀ころすでに存在していたと考えられ、ミーマーンサー学派とは姉妹関係にある。後世この学派内部で開祖とみなされるバーダラーヤナが、前1世紀に現れ、解脱(げだつ)とその手段としてのブラフマン(梵(ぼん))の認識を重視して、祭式の実行を重視するミーマーンサー学派との相違を明確にした。5世紀には、本学派の根本聖典『ブラフマ・スートラ』が、現存する形に編纂(へんさん)された。この聖典は、当時有力だったサーンキヤ学派の説く純粋精神と原物質の二元論に対抗して、純粋精神ブラフマンを唯一の世界原因とする一元論を展開した。本書の出現で、ベーダーンタ学派は、ブラフマンの考究を最大の課題とする学派として確立した。その後、大乗仏教の影響を受け、本学派は幻影主義化した。一例をあげれば、7世紀のガウダパーダ作『マーンドゥーキヤ頌(じゅ)』には唯識(ゆいしき)思想の影響が著しい。

 しかし、8世紀前半になると、彼の孫弟子シャンカラが逆に仏教ベーダーンタ哲学に取り込んだ。そのため、ブラフマンと個我と現象世界がともに実在であるとする『ブラフマ・スートラ』の実在論的一元論は、ブラフマンのみが実在で個我と現象世界は幻影であるとする幻影主義的一元論(不二一元論(ふにいちげんろん))へと変容した。また彼は、ブラフマンの認識のみを解脱の手段と考え、行為を否定した。8世紀後半には、バースカラがシャンカラを批判し、伝統的な実在論的一元論と知行併合(ちぎょうへいごう)論の復活を図ったが果たせなかった。11世紀に入ると、ラーマーヌジャが、信愛によるビシュヌ神崇拝の高まりを背景として、ベーダーンタ哲学を実在論の側に引き戻し、行為を再評価した。彼はシャンカラを批判し、ブラフマンと個我・物質世界とはともに実在で、後者前者の身体であるとする制限不二論(せいげんふにろん)を唱えた。そして、ブラフマンをビシュヌ神と同一視し、神への信愛を説いたが、その信愛は知の色彩が濃かった。12、13世紀には、マドバが、実在論をさらに推し進め、ブラフマンと個我と物質世界はともに実在で、おのおの明確に異なる存在であると主張して、実在論的な別異論を唱えた。14世紀には、ニンバールカが、ラーマーヌジャの影響を受け、ブラフマンと個我・物質世界とはともに実在で、両者は不一不異であると説いた(不一不異説)。そして、ブラフマンをクリシュナ神と同一視し、信愛を本来の情的なものに戻して、いわゆる恋愛的信愛を創始した。15、16世紀には、バッラバが不異説をさらに徹底させた。彼の説は純粋一元論で、ブラフマンと個我・現象世界とは、ともに純粋精神であり不異であるとしている。その後、ベーダーンタ学派は、近代のビベーカーナンダ、タゴールをはじめ多くの思想家に影響を与え続け、現代に至っている。

[島 岩]

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