日本大百科全書(ニッポニカ) 「舟越桂」の意味・わかりやすい解説
舟越桂
ふなこしかつら
(1951―2024)
彫刻家。岩手県盛岡市生まれ。1975年(昭和50)、東京造形大学彫刻科卒業。1977年、東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。1982年にギャラリー・オカベ(東京)で初個展を開催し、1985年以降は西村画廊(東京)を中心に多数の作品を発表。1986~1987年、文化庁芸術家在外研修員としてロンドンに滞在したのを機に活躍の場を海外にも広げ、ベネチア・ビエンナーレ(1988)、サン・パウロ・ビエンナーレ(1990)、ドクメンタ9(1992)など大規模な国際展にも代表作家として選ばれている。タカシマヤ文化基金第1回新鋭作家奨励賞(1991)、中原悌二郎(ていじろう)賞(1995)、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)賞(1997)、毎日芸術賞、芸術選奨文部科学大臣賞(ともに2009)などを受賞。2011年(平成23)紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章。1985~1986年および1990(平成2)~1991年東京芸術大学彫刻科非常勤講師。1989年東京造形大学非常勤講師、その後同大客員教授。
東京芸術大学教授を務め、芸術選奨文部大臣賞を授与されるなど日本彫刻界の重鎮であった父舟越保武(やすたけ)の強い影響で子どものころより彫刻家を志すが、ブロンズや大理石彫刻を専門とした父とは異なり木彫を選択した。初の本格的な木彫作品は、大学院在籍中に函館(はこだて)トラピスト修道院の求めに応じて2年がかりで制作した『聖母子像』(1977)で、この処女作には舟越の背景にあるキリスト教的精神(父は敬虔(けいけん)なカトリック教徒であり、自らも幼児洗礼の経験をもつ)が強くにじみ出ていた。その後の試行錯誤によってキリスト教的な問題意識から脱し、1982年の初個展時には、実在のモデルのいる肖像とモデルのいない空想の肖像という二つの作品系列、楠(くすのき)の使用、着衣・着色された精巧な半身像、大理石の眼球などを特徴とする独自のスタイルを確立し、以後の精力的な作品発表を通じて評価を高めていった。
「アゲインスト・ネーチャー」展(1989。サンフランシスコ現代美術館)など、海外の展覧会でも高く評価されたその作風は、国内には類例のない独自のものであるが、その一方で舟越本人がしばしば口にした「森の囁(ささや)き」ということばが、イギリスの彫刻家デビッド・ナッシュDavid Nash(1945― )にも通底するスピリチュアリズムをうかがわせ、また同じく1980年代に注目を集めたドイツの具象彫刻家ゲオルク・バゼリッツGeorg Baselitz(1938― )やシュテファン・バルケンホールStephan Balkenhol(1957― )との類似が認められるなど、海外の彫刻家からの影響を指摘される。
舟越はほぼ2か月に1作のペースで制作を行い、ときに全身像や双頭像も手がけるなど作品のバリエーションを増やした。そのほかに版画やおもちゃの製作も行っている。また、彫刻作品が須賀敦子(すがあつこ)(1929―1998)のエッセイ『遠い朝の本たち』(1998)や天童荒太(てんどうあらた)(1960― )の小説『永遠の仔(こ)』(1999)の本の装丁に用いられたり、大江健三郎が2003年1月4日より『読売新聞』に連載した長編小説「二百年の子供」の挿絵を担当したこともあり、幅広い人気を得た。
[暮沢剛巳]
『「特集 舟越桂の変貌」(『美術手帖』2003年5月号・美術出版社)』▽『「舟越桂」(カタログ。2003・東京都現代美術館)』