般舟三昧院(読み)はんじゅざんまいいん

改訂新版 世界大百科事典 「般舟三昧院」の意味・わかりやすい解説

般舟三昧院 (はんじゅざんまいいん)

京都市上京区にある天台宗の寺。指月山と号し,通称は般舟(はんじゆう)院。皇室由緒寺院で,もとは伏見にあり,後土御門天皇離宮の伏見殿を勅願寺に改めて1479年(文明11)に開創された。当初は真言・律・天台・浄土(禅ともいう)の四宗兼学で,戦国期の歴代天皇生母の墓所となった。だが,伏見築城により,1595年(文禄4)豊臣秀吉の命で現在地に移建。江戸期の寺領150石。天皇や女院の中陰以下の法要が泉涌寺のほか当寺でも営まれ,天皇家の保護は明治維新まで続いた。江戸後期以降,元三大師(がんさんだいし)(良源)信仰の寺として庶民の信仰も集め,正月3日の大師画像の開帳は有名。元三大師堂の阿弥陀如来と不動明王座像(いずれも平安時代)は重要文化財。なお,現寺地は藤原定家の時雨しぐれ)亭の跡とも伝え,付近に式子(しきし)内親王塚(別名〈定家葛(ていかかずら)の墓〉)がある。定家の内親王への恋心が葛となってその墓に巻きついたという伝承によるもので,謡曲定家》でこの哀話は名高い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「般舟三昧院」の意味・わかりやすい解説

般舟三昧院
はんじゅざんまいいん

京都市上京(かみぎょう)区般舟院前町にある天台宗(延暦寺(えんりゃくじ)末)の寺。指月(しげつ)山と号する。略称般舟院。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。後土御門(ごつちみかど)天皇(在位1464~1500)が幼時滞在し、即位後、二尊院の第13代円慈恵篤上人善空(しょうにんぜんくう)に菩薩戒(ぼさつかい)を受けたところである伏見(ふしみ)殿に仏閣を建立して、勅願寺としたと伝える。天台・真言(しんごん)・律・禅(または浄土)の四宗兼学の道場。1595年(文禄4)豊臣(とよとみ)秀吉が伏見城下から現在地へ移転させた。江戸時代は朱印寺領150石。歴代二尊院住持の兼務であった。歴代天皇の位牌(いはい)を安置したが、明治時代に泉涌寺(せんにゅうじ)に移された。本尊木造阿弥陀如来像は慈覚大師作と伝え、木造不動明王坐像(ざぞう)とともに平安時代の作で国重要文化財に指定されている。後柏原(ごかしわばら)・後土御門・後奈良(ごなら)天皇の各母后の墓などがある。

[田村晃祐]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「般舟三昧院」の意味・わかりやすい解説

般舟三昧院
はんじゅざんまいいん

京都市上京区にある天台宗の寺。略称は般舟院。康和年間 (1099~1104) に藤原基頼が建立した安楽行院を,文明3 (1471) 年に深草から伏見に移し,のちさらに豊臣秀吉が文禄3 (1594) 年に現地に移築したもの。もとは天台,密教,律,浄土教の4宗兼学の道場であったが,のちに天台宗に属した。

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世界大百科事典(旧版)内の般舟三昧院の言及

【常行堂】より

…阿弥陀仏を本尊とし《般舟三昧経(はんじゆざんまいきよう)》にもとづいて常行三昧(じようぎようざんまい)を勤修する堂舎。常行三昧堂,般舟三昧院,阿弥陀三昧堂ともいう。最澄は延暦寺に四種三昧院建立を企図したが実現せず,3代天台座主円仁が唐の五台山に念仏三昧の法を学び,帰朝後,叡山東塔虚空蔵尾に初めて常行三昧堂を建て,不断念仏を修し,しだいに各地にひろがった。…

※「般舟三昧院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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