出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
石川県能登半島の輪島市の北方約50kmの海上に浮かぶ小島。島の形は長楕円状で,面積1.15km2。最高点は標高12.5mの低平な安山岩でできた島で,出入りの複雑な岩礁海岸をもつ。島の南東側に集落があり,これまで輪島市の海士(あま)町および鳳至(ふげし)町の漁民が夏季の漁業のための季節移住をすることで知られていたが,近年は常住する漁家が増え,現在では約60戸にのぼっている。漁業は海女の潜水漁業が主体でアワビ,サザエ,海藻類を漁獲する。
執筆者:斎藤 晃吉
舳倉島の対岸の輪島市海士町の海女は,筑前国宗像(むなかた)郡鐘ヶ崎に出自するという伝承をもち,加賀藩に熨斗鮑(のしあわび)や運上金を上納する代りに,舳倉島,七ッ島での漁業権を与えられてきた。舳倉島周辺の海域は,アワビ,エゴ,テングサ,サザエなどの好漁場であり,海士町の海女は,八十八夜に家族をあげて舳倉島に島渡りをし,秋の彼岸までの間島で生活をし,漁に従事した。ここで採った貝や海藻は,11~12月に灘廻りといって米などと交換する商品となった。家族全員で灘廻り船を仕立てて,町中で行商に出た。灘廻りの範囲はほぼ能登一円で,男が船で子守や飯炊きをしている間に,女房が品物をかついで陸路1~2里の農村に入って物々交換をした。もとは自家でとったものだけをもっていったが,後には北海道のコンブや身欠きニシンなども商品に加わった。山形県飛(とび)島の田植魚を対岸の内陸に売りにいく五月船(さつきぶね)などと近いものであった。
執筆者:高桑 守史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
石川県輪島市(わじまし)に属す島で、能登(のと)半島輪島港の北方49キロメートルの日本海にある。東経136度55分50秒、北緯37度51分8秒に位置し、面積0.55平方キロメートル、周囲5.1キロメートルで長卵形をなす。人口144(2009)。紫蘇(しそ)輝石安山岩の溶岩流からなる低平な島で、最高所(12.4メートル)に灯台が建つ。冬の季節風は強いが積雪はなく、北西側は断崖(だんがい)をなすが、風下の南東側の一部に砂浜があり、集落や舳倉港がある。ススキ、メダケの草原が広く、樹木は少ないが、南方系、北方系両方の植物がみられ、松の植林が行われる。近海は岩礁が広く、魚貝類、海藻類が豊富である。『今昔(こんじゃく)物語集』の猫ノ島(ねこのしま)はこの島といわれ、奥津(おくつ)島ともいった。住民は筑前(ちくぜん)宗像(むなかた)郡鐘崎(かねがさき)(現、福岡県宗像市)から移動してきたと伝えられ、加賀藩主から輪島の海士町(あままち)に居所を与えられた。海士町の漁民は夏八十八夜ごろ「島渡り」し、海女(あま)は潜水してアワビ、サザエ、海藻類をとり、11月に海士町に帰った。このあと灘回(なだまわ)りと称し船で能登の農村を回り、糠(ぬか)漬けのイワシなどを米と交換した。いまもこの風習が残っている。小・中学校の分校、保育所、診療所などもある。また防風のため石垣で囲った奥津比咩(おきつひめ)神社や、竜神ヶ池、深湾洞(ふかわんどう)、築島(つきじま)などがあり、能登半島国定公園域。輪島港から定期船で1時間30分を要する。
[矢ヶ崎孝雄]
『『舳倉島・七ツ島』(1961・北国新聞社)』
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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