デジタル大辞泉 「良暹」の意味・読み・例文・類語 りょうぜん〔リヤウゼン〕【良暹】 平安中期の歌人。比叡山の僧で、祇園ぎおんの別当を務めた。その歌は後拾遺集以下の勅撰集に約30首入集。生没年未詳。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「良暹」の意味・読み・例文・類語 りょうせんリャウセン【良暹】 平安時代の歌人。後朱雀・後冷泉両朝頃の人。比叡山の僧で祇園別当となった。橘俊綱家歌会に参加し、賀茂成助・津守国基・橘為仲らと交流。私撰集「良暹打聞」を編み、家集も存在したが、いずれも現存しない。「後拾遺集」以下の勅撰集に三一首入集する。生没年未詳。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「良暹」の解説 良暹 生年:生没年不詳 平安時代の僧侶歌人。経歴などにも不明な点が多いが,比叡山の僧で祇園別当となり,のちには大原に隠棲したことが知られる。橘為仲,橘俊綱,津守国基などと交流しつつ歌人として活躍,長暦2(1038)年の権大納言家歌合 など多くの歌合にも出詠している。『後拾遺集』に採られた。「さびしさに宿をたち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮」の一首は特に名高い。歌語をめぐって論争した話や,良暹の詠んだ上句に誰も下句を付け得なかった話など,多くの説話が伝えられている。『良暹打聞』と呼ばれる私選集を編集したが,現存しない。『後拾遺集』以下の勅撰集に約30首が入集。 (山本登朗) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「良暹」の解説 良暹(2) りょうぜん ?-? 平安後期-鎌倉時代の僧。箱根権現の別当行実(ぎょうじつ)の弟で,伊豆山走湯(はしりゆ)権現の住僧。石橋山の戦いで敗れた源頼朝を兄たちがかくまっていることを知り,頼朝に殺された盟友山木兼隆の仇を討とうとしたが失敗。のち頼朝にしたがい,頼家の誕生や奥州攻めのおりに祈祷(きとう)をおこなう。建久3年(1192)には熊谷直実の出家を注進した。 良暹(1) りょうぜん ?-1064ごろ 平安時代中期の歌人,僧。天台宗祇園感神院(現八坂神社)の別当。「後拾遺和歌集」「新古今和歌集」などの勅撰(ちょくせん)集に歌がのる。康平7年ごろ死去。享年に67,68歳説がある。私撰集に「良暹打聞(うちぎき)」(散逸)。【格言など】寂しさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮(「小倉百人一首」) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by