花畠教場(読み)ハナバタケキョウジョウ

デジタル大辞泉 「花畠教場」の意味・読み・例文・類語

はなばたけ‐きょうじょう〔‐ケウヂヤウ〕【花畠教場】

江戸時代岡山藩藩校。寛永18年(1641)藩主池田光政熊沢蕃山を招いて、岡山城下花畠開設

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精選版 日本国語大辞典 「花畠教場」の意味・読み・例文・類語

はなばたけ‐きょうじょう‥ケウヂャウ【花畠教場】

  1. 備前国岡山県)岡山藩の藩校。寛永一八年(一六四一)池田光政が創設したわが国でもっとも古い藩校。漢学習礼指導。のち石山学館改称。寛文九年(一六六九岡山藩学校となる。

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百科事典マイペディア 「花畠教場」の意味・わかりやすい解説

花畠教場【はなばたきょうじょう】

備前岡山藩主池田光政が1641年城下の花畠別邸に設けた学問所熊沢蕃山らが招かれ,藩士子弟を教育した。日本最古の藩校とされ,のちに岡山藩学校と改称。→閑谷学校

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「花畠教場」の意味・わかりやすい解説

花畠教場
はなばたけきょうじょう

岡山藩の初期藩学。陽明学。1641年(寛永18)藩主池田光政(みつまさ)が城下郊外花畠の地に創設。石山(いしやま)仮学館を経て岡山藩学校となる。

[編集部]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「花畠教場」の解説

花畠教場
はなばたけきょうじょう

備前国岡山藩の私塾。1641年(寛永18)上道(かみつみち)郡花畠に創設,花園会約を定め,文武を修め,66年(寛文6)城内に移転し学館と称したとされてきた。これは『履歴略記』の寛永19年条にある「花畠」と題した記事によったものである。現在では,1650年(慶安3)頃「習字の輩」の集まりで,花園会約も好学同志が互いに切磋琢磨するための盟約的なものであったと考えられている。熊沢蕃山が中心となり,池田光政が保護したものとされる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「花畠教場」の解説

花畠教場
はなばたけきょうじょう

江戸前期に設立された岡山藩の藩校
1641年藩主池田光政が創設した最古の藩校。家中の長子8歳から20歳まで,および庶民の子弟でも20歳以上の学術品行のすぐれた者の入学を許した。のち岡山藩学校と改称。

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