花菱アチャコ(読み)ハナビシアチャコ

デジタル大辞泉 「花菱アチャコ」の意味・読み・例文・類語

はなびし‐あちゃこ【花菱アチャコ】

[1897~1974]漫才師・俳優福井の生まれ。本名、藤木徳郎。横山エンタツとのコンビで、東京六大学野球に材を取った「早慶戦」などの漫才で人気を博した。コンビ解消後は、ラジオドラマ・映画・舞台でも活躍

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「花菱アチャコ」の解説

花菱 アチャコ
ハナビシ アチャコ


職業
漫才師 喜劇俳優

本名
藤木 徳郎

別名
前名=花菱 五郎

生年月日
明治30年 2月14日

出生地
福井県 勝山町

出身地
大阪

経歴
生後すぐに大阪に移り、小学校を出て材木商などに奉公。大正2年花菱五郎の名で関西新派の山田九州男一座に入り、3年喜劇一座の鬼笑会加入。4年菅原家千代丸とコンビで漫才師に転向。15年相方を千蔵家今男に変え吉本興行に入社。座長漫才人気投票で1位となった。昭和6年横山エンタツと新コンビを組み、羽織袴背広に改め話術1本の“しゃべくり漫才”の典型をつくり、なかでも「早慶戦」「象の卵」は一世を風靡した。9年中耳炎を患いコンビを解消、10年アチャコ劇団を結成し、エンタツと映画、劇団で共演、人気を博した。22年劇団解散、27年NHK連続ラジオドラマ「アチャコの青春手帖」、「お父さんはお人好し」で戦前以上の人気を回復、喜劇俳優として舞台、映画、ラジオ、テレビと幅広く活躍した。「ムチャクチャでござりまするがな」の流行語を生んだ。自伝「遊芸稼人」がある。平成8年上方演芸に貢献した人を顕彰する“上方演芸の殿堂”に入る。

没年月日
昭和49年 7月25日 (1974年)

伝記
戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争決定版 上方芸能列伝メッケもん!―掘り出し珍品図鑑女興行師 吉本せい―浪花演芸史譚喜劇の精粋抄決定版 私説コメディアン史会話の日本語読本オモロイやつら笑いをつくる―上方芸能笑いの放送史けったいな人びと―ホンマモンの芸と人地球の上に朝がくる笑いに生きた達人たち大阪の曲がり角なつかしい芸人たち地球の上に朝がくる―懐かしの演芸館 早坂 隆 著澤田 隆治 著桂 文我 著矢野 誠一 著新藤 謙 著澤田 隆治 著鴨下 信一 著竹本 浩三 著澤田 隆治 著棚橋 昭夫 著池内 紀 著木津川 計 著色川 武大 著池内 紀 著(発行元 中央公論新社筑摩書房ポプラ社筑摩書房勉誠出版筑摩書房文芸春秋文芸春秋日本放送出版協会図書出版浪速社筑摩書房日本テレビ放送網東方出版新潮社河出書房新社 ’08’07’06’05’03’03’03’02’02’00’92’92’89’89’87発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「花菱アチャコ」の解説

花菱 アチャコ
ハナビシ アチャコ

大正・昭和期の漫才師,喜劇俳優



生年
明治30(1897)年2月14日

没年
昭和49(1974)年7月25日

出生地
福井県勝山町

出身地
大阪府

本名
藤木 徳郎

別名
前名=花菱 五郎

経歴
生後すぐに大阪に移り、小学校を出て材木商などに奉公。大正2年花菱五郎の名で関西新派の山田九州男一座に入り、3年喜劇一座の鬼笑会加入。4年菅原家千代丸とコンビで漫才師に転向。15年相方を千蔵家今男に変え吉本興行に入社。座長漫才人気投票で1位となった。昭和6年横山エンタツと新コンビを組み、羽織袴を背広に改め話術1本の“しゃべくり漫才”の典型をつくり、なかでも「早慶戦」「象の卵」は一世を風靡した。9年中耳炎を患いコンビを解消、10年アチャコ劇団を結成し、エンタツと映画、劇団で共演、人気を博した。22年劇団解散、27年NHK連続ラジオドラマ「アチャコの青春手帖」、「お父さんはお人好し」で戦前以上の人気を回復、喜劇俳優として舞台、映画、ラジオ、テレビと幅広く活躍した。「ムチャクチャでござりまするがな」の流行語を生んだ。自伝「遊芸稼人」がある。平成8年上方演芸に貢献した人を顕彰する“上方演芸の殿堂”に入る。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「花菱アチャコ」の意味・わかりやすい解説

花菱アチャコ
はなびしアチャコ

[生]1897.2.14. 大阪
[没]1974.7.25.
漫才師,喜劇俳優。本名藤木徳郎。関西新派山田九州男一座を皮切りに,役者としていくつかの一座を転々としていたが,1915年漫才師に転向。 30年横山エンタツとのコンビで,会話による新形式の漫才を確立。第2次世界大戦後は,ラジオ番組『アチャコ青春手帖』『お父さんはお人好し』が大ヒットした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「花菱アチャコ」の解説

花菱アチャコ はなびし-アチャコ

1897-1974 大正-昭和時代の漫才師,俳優。
明治30年2月14日生まれ。喜劇の鬼笑会から漫才に転向。のち吉本興業にはいる。昭和5年横山エンタツとコンビをくみ「早慶戦」などのしゃべくり漫才で人気をえる。コンビを解消し,10年アチャコ劇団を結成。戦後は喜劇俳優として活躍した。昭和49年7月25日死去。77歳。福井県出身。本名は藤木徳郎。

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367日誕生日大事典 「花菱アチャコ」の解説

花菱 アチャコ (はなびし あちゃこ)

生年月日:1897年2月14日
大正時代;昭和時代の漫才師;喜劇俳優
1974年没

花菱 アチャコ (はなびし あちゃこ)

生年月日:1897年7月10日
大正時代;昭和時代の漫才師,俳優
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の花菱アチャコの言及

【漫才】より

…落語や講談と違って万才は形の決まらない即興の話芸であり,その不定形の様式が,この時代に万才の発展した原因である。そのように万才の様式を使い慣らしたのは横山エンタツ(1896‐1971)であり,彼が相方の花菱アチャコ(1897‐1974)との掛合いですでに手がかりをつかんでいた話芸の芽をさらに大きく伸ばしたのは,朝日新聞大阪本社の白石凡(1898‐1984)が,彼を秋田実(1905‐78)に引き合わせたのが機縁となっている。秋田実は大阪生れで,東京大学中国哲学科に在学中,日本労働組合全国協議会傘下の機関誌部に入り,非合法の活動に加わった。…

※「花菱アチャコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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