日本大百科全書(ニッポニカ) 「若林奮」の意味・わかりやすい解説
若林奮
わかばやしいさむ
(1936―2003)
彫刻家。東京生まれ。1959年(昭和34)東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。鉄塊・鉄板などを加工し、その磨いた部分や鉄錆などに異種の素材を合体させて、抽象的な立体彫刻を制作する作家として知られる。
一般に彫刻作品は、空間を指示するために量塊(ボリューム)をさまざまな素材によって立ち上げる。しかし若林の場合は、その物体を構成する物質に関心が向いており、それらが結合して資源材となり、さらに二次素材(製品)に変化していくプロセスを重視する。すなわち若林は、空間を立ち上げて視覚にショックを与えるような彫刻のあり方に重心を置くのではなく、個人的な記憶の断片にある風景をイメージの源泉としている。その出発点に子供時代、実家の工場が焼失した跡にころがっていた、焼けただれた無残な硫黄や鉄の記憶が原風景としてあった。また彫刻科への進学は、子供のときから飛行機の形に興味をもっていたためで、大学卒業後に自動車のデザインにも関わった。そこで自動車の外側の形と内側の細かな機能との対立に注目し、外の殻が内側を包む構造に自然と社会との関係を重ね、彫刻制作の再認識と実験へと結びつけた。
動物や人間などの有機体を思わせる寓意的な形態を、鋳造したり、鉄を叩いて変形させる『不透明・低空』(1969)などの60年代の作品は、そういった対立する関係を組み合わせた作品だった。70年代以降の、複数の素材を使用する「振動尺」シリーズなどでは内省的で緊密なオブジェ制作に進んだ。それは有機体でも工業製品でもない何ものかであり、見る者に物質のもつ静謐な実在感を呼び起こす。その独特の物質観にもとづく作品は、鉄材に手を加えて鉱物のもつ重厚さを際立たせつつも、有機的な生命の流れがそこに宿るという、相反するイメージを備えている。
この特異なモチーフは、活動初期から制作されたドローイング作品にも表れており、彫刻作品とドローイングをセットにしてみると、若林の彫刻をめぐる思考がより明らかになる。植物の成長と風景とが分かちがたく絡みあった夢の記述のようなドローイングでは、物質と生命が記憶の中の風景を通じて一つのものになっていることが理解される。そのことは、東京都西多摩郡日の出町で進められたごみ処分場設置に反対するトラスト運動の土地を利用して、96年(平成8)に若林が作品を制作する活動を始めたことと無縁ではない。
59年以来、毎年個展を開催し、グループ展では63年に「彫刻の新世代」展(国立近代美術館)、国際美術展では68年にインド・トリエンナーレ(ニューデリー)、75年にミッデルハイム・ビエンナーレ(アントウェルペン)、80年ベネチア・ビエンナーレほか多数に出品する。
[高島直之]